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2016年07月30日の美人になる方法
テーマ:ワタナベの思うこと

幸せの基準って、お金?物質?

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さて、本日の記事は「幸せ」について

どうしても、あれがあったら幸せなのに、

これがあったら幸せなのに・・・

周りのリア充ぶりを見て、

なおのことそれを強く感じる。





欲望を持つことは決して悪いことではないし、

むしろ、生きる意欲とそれらを捉えるのに

努力したり、がんばったり、がんばらなかったり

しながらも、楽しく、人生の教訓や法則を

学びながらそれらを手にすることは喜びになります。





しかし、それがあったら幸せなのではなくて、

自分が幸せだと思える思考になったら、

どんな状況でも、幸せになれるのです。





きらびやかな世界で、笑顔で幸せそうに

笑っている美しい女性たちを見ると、

それが幸せの基準であると勘違いしそうになります。

お金があることが幸せだ!と、勘違いしてしまうと、

お金がなかったら、不幸せだと思い込んでしまうのです。





お金は、幸せのたった一つの理由に過ぎませんが、

それがなくても、幸せな人は世界中に五万といます。





幸せは、冷たい言い方をすれば、

脳内物質ありきのこと。

幸せだな〜、と思えれば、その瞬間から幸せになれるのです。





逆に、あれがない、これもない、

あれが欲しい、これも欲しい、それらがないから

私は不幸せ、なんてことばかり思っていると、

欠乏感だらけになるのです。

欠乏感は欠乏を生みますから。

それが不幸せ思考の原因なのです。






じゃあ、どうしたら、「ああ、幸せだな〜」と思えて、

どうしたら、その脳内物質が出るのでしょうか?

それは、再三お伝えしている通り、

お金でもブランド物でなく、

感謝の気持ちなのです。






感謝の気持ちは、溢れるでる感覚、

しみじみ・・・と感じるもの。

感謝しようよ、と言われて

感謝できるものではありません。





ほんのちょっとだけ視点を変えるトレーニングから、

常日頃から、ちっちゃい「これって有難いんじゃない?」

と思えることを拾うことからはじまります





そして、ありがたくない嫌な出来事が

それを感じさせてくれるので、嫌な出来事が起きた時に、

「クソーー!ムカつくーー!」

「痛いーーー!もういやー」

「なんでこんなに大変なのよー!」の時に、

その嫌なことが無かった時が、当たり前じゃないことを

少しだけ、考えてみるのです。

それが感謝の気持ちが湧き出る方法。





感謝の気持ちがない人は、いずれ

自分が幸せの源だったはずのものをなくします。





例えば、夫の働きに感謝もせず、

ただのお給料を運んでくる人、としか見ず、

子供には、お父さんの悪口を言うような人は、

いずれ、旦那さんがいなくなるかもしれません。





妻がどれだけ夫のことを思って、

いろいろしてくれたのに、それらに全く感謝せず、

当たり前のものに思っていて、妻を大切にしなかったら、

いずれ妻を失うかもしれません。





お金をくれている職場、

仕事に文句ばっかり言っていて、

得られている恩恵を当たり前のものに思い、

感謝の気持ちがなければ、いずれその職を失うことでしょう。

言霊や行動はある種のエネルギーなので、

そのエネルギー通りのことを身に招きます。





自分のやっていることが、

自らに戻ってくるだけなのです。

いいことも悪いことも。超簡単。






そうすると、あなたが欲しがっていたものすら

入ってくるようになります。

それが豊かさであれば豊かさが、

成功であれば成功が、

物質であれば、その物質が。





しかし、

それらがなくても幸せである、

ということを信じていることが

前提ですけどね。






目標のハードルはいくら高くてもいいですが、

幸せのハードルは、低いほうが幸せです。

日々の小さなことに、幸せだな〜、と感じていると、

そのエネルギーがさらなる幸せを引き寄せます。

同じエネルギーが自分のところに来るのでね。




===========




7月30日は、もし、モモが生きていたら17回目の誕生日でした。

17回目は迎えることができませんでしたが、

心の中で、モモがこの世に誕生して、そして私を選んで

私の元に来てくれたことを、しみじみ思い出します。

では、また明日!






美人になる方法@ワタナベ薫 at 00:00 | コメント(0) | ワタナベの思うこと
2016年07月29日の美人になる方法
テーマ:ワタナベの思うこと

空前のセミナーブーム〜価格は何を表すか〜

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今年は、日本での当セミナー開催は、4年ぶり?

あれ?3年かな?で、今日はセミナーやその他、

提供する商品の価格について思うことを。





最近は、SNS上での集客ができるようになったため、

女性のみならず、多くの人々が起業できるようになりました。

何か自分の商品(有形無形にかかわらず)を

提供する側も、サービスを受ける側も

ちょっと気をつける点や、何か参考になる点があれば、と

思いまして、記事にしました。

先日ツイッターでもちょこっと書いた、

業者や、講師、その他、経営者が提供する商品の

価格設定について、消費者は何を見て、どう見分けるのか?






きっかけは、かさこさんのブログを読んで、

全く同じ思いだったので、それをきっかけに

私も思うところを書こうと思いまして今日の記事。

まずは彼のブログをぜひ読んで欲しいです。

「値上げしたら?」とアドバイスしたら
「ママが気軽に申し込めなくなる」とある人は言った






私が思うことは、

誤解して欲しくないのは、高いのがダメだ、

とうわけではなくて、提供する価値に見合わない価格設定して

無駄なお金を使わされている人が多いことを懸念しています。

そして、そこに依存を作るとか。

はいはい。余計なお世話ですけどね。





しかし、安過ぎると、そこに疲弊が生じて

ビジネス自体が楽しくなくなる、これまた

失敗例にもなります。





しかしながら、驚くほどの法外な金額とか、

「○○しただけで、ウン千万円儲ける方法」とか、

根拠なしの「私ができたんだから皆さんにもできます」

を繰り返し、モチベ高めのセミナーだったり、

情報弱者を狙ったぼったくりだったり、

ハラハラするようなタイトルのセミナーなどなど。





私は、昨年までは、コーチングやコンサルをやってまして、

クライアントは、同業者や経営者が7、8割、

よく同業者の時には、セッション料金やセミナーの

値段設定の件でも、セッションすることが大変多かったです。





かさこさんの記事に書かれていたような経験が私もよくあります。

例えば、あるクライアントはカウンセラーでした。

一般価格は大体、大体60分1万円くらいでしょうか。

そのカウンセラーは5000円くらいでした。

彼女の認知度や実力、そしてクライアントの人数などを

考慮したときに、一般価格くらい、またはもうちょっと

あげても問題ないのではないか?と私は提案しました。





彼女は、「カウンセラーはコーチと違って、

長く話を聞くことが必要で、リピートする可能性が高いので、

クライアントがリピートできる良心的な値段にしていたいし、

そして、私はそんなに高くお金をもらう必要がないので、

この値段設定で満足です」と言いました。





クライアントの益を優先的に考えた価格設定でしょう。

と言っても、依存させないカウンセリングも

わきまえていらっしゃっていて、実績もあり、

スキルもかなり高いとお見受けいたしました。





よく価格設定するときには、マーケット調査をします。

競合を調べてみるってやつね。

もちろんそれに左右されなくてもいいのですが、

基本、自分のマーケットにあった値段設定をします。

もしくは、自分がどれだけもらえたら喜びのうちに

その仕事をやり続けられるか?ということも当然考慮します。

むやみに値段をあげると、自分のターゲット層の人々が

無理をしてお金を出すので、リピーターにならないので、

継続しない可能性が出てくる。





しかし、そんな中、昔からそうですが、

多くのコンサルはクライアントにこう言います。

「値段を高くしなさい」と。私も何度言われたか。

しかもバカ高い設定を勧められました。

価格を高く!それは「高いものは価値がある」と

簡単に思う人々が多いから、それを狙って

儲ける、ということです。





まあ、あまりにも安すぎる価格は、

自分の価値を低く見積もっているってことでもあり、

価格は、自分の格を値段で表す、ということでもありますので、

その辺は、慎重な考慮が必要だと思います。





ある人は、あるスキルを師匠から教わったばかりの

まだビギナークラスなのに、師匠が提供している価格の

二倍をつけて始めるビギナーもいます。

理由は、コンサルに高くしろ、と言われたから。

何も考えず儲けに走るのです。





自分を比較に出したらおこがましいのですが、

当セミナー4時間セミナーで10800円、音声プログラムも、

月額840円は破格すぎるからもっと値段を上げたほうがいい、

とたくさんのコンサルや受講者達にも言われ続けてきました。

受講者に言われるってすごいな、と思います。

受ける側は安い方が助かるのに。





しかし、それはよーく存じておりまして、

私は、たくさんのコンサルが言う、

人間の心理を利用した値段設定の仕方、

「高いものはいいものだ」という盲目的に信じさせるのは、

個人的に好きではないのでしません。





そして、もうひとつ言えることは、

私は、セミナーで儲けなくていいから。

私の場合は、セミナーや講演はあくまでファンサービス。

他にお金が入る仕組みを十分に持っているから。







そして、自分の良心に基づいた生き方をしたいと思っているから。

広島でやるセルフコアステートメントのセミナーでも

皆さんのコアにある価値観や信念を見つけますが、

私のコアにある、価値観信念は、「良心的、誠実」

といった部分も入るので、それに従って生きています。





そして、もう一つ言えば、

市場価格を知っているからでもあります。

市場よりも安く提供したい、という願いのもと、

それは、敷居を低くして多くの人々に参加してほしい、と

思っているからのこと。





私は、たくさんの資格を取ってきたので、

(国家資格ではないですけどね・・・)

同業者の場合の、市場の価格設定というのがよくわかります。

国際コーチ連盟の世界的な認定プログラムを一通り受けるのに、

約60万円です。(どこもだいたい一律)

60万円高いでしょ?しかし、144時間のトレーニング時間です。

1日10時間のトレーニングで、約14日間ほどかかります。

逆に安いでしょ?1時間当たりのトレーニングは数千円ですから。





NLPに関しては、プラクティショナーもマスターも

それぞれ約35万円。そして、その資格を提供できる人になる

トレーナーの資格は120万円。トレーナーになるまでは、

200万円くらいかかるのですが、そこに至るまでのトレーニング時間は、

トータルで何百時間あったかな?よく覚えていないけど、

1日、10時間のトレーニングを、何十日間です。

しかも、厳しい実技とペーパーの試験があったりもします。





さて、値段が高くなれば、間口が狭まる、

しかし、質のいい顧客がつく可能性が高い。

値段を低くすれば、間口が広まる、

しかし、人数が多い分、オープンなので、

いろんな人が集まってしまう、ということ。





この基本的なことを考慮して、値段設定します。

そういうことを知らない受講者側は、

講師がつける値段がスタンダードだと思い受けますが、

情報弱者を狙って、法外な値段をつける業者も多くなりました。





もう一度言いますが、今日の記事は高い値段設定がダメ!

って記事ではないですから、誤解なきように。

高くてもそれに見合った価値があればいいのです。

でも選ぶのは、受講者ですけどね。





良心的とはなんでしょうか?





以前書いたことがありました、

弊社ともビジネスでご一緒させていただている

サジーの会社フィネスさん。

以前、サジーは一本、4000円以上しました。





しかし、取締役は、多くの人々が定期的に飲んで欲しいから、

という理由で、いつか、一本当たりの金額を

新聞よりも安い金額で!を目標にしました。





それだけではなくて、中身を増やす計画までしそれを実現しました。

お客様に寄り添うその姿勢が、会社をどんどん大きくしていき、

サジーを売りに出す前は「もう無理だ、閉めるしかない」

という状態から、その顧客を思う良心的な気持ちから、

自社ビルを持つくらいにまでなりました。





良心的な会社が繁栄する

というのはそういうこと。

顧客の益よりも、自分の懐を肥やすことばかり

考えている会社と、良心的な会社の違いはそこ。

それは個人も同じこと。





なので私はよく、その人が提供している商品の値段を見ます。

値段で決めるわけではないのですが、

値段設定はその人の本質が表れるのです。

そうお金はその人の本質が表れるから。





良心的か?そうじゃないのか?

・・・を、ちゃんとお金は表してくれるのです。





情報がないと、惑わされますが、

情報は、客観的かつ、冷静に、そして、

しっかり調査する意味で、その内容やその人の

人柄を調べる必要もあるのです。

そこでも頭(思考)を使おうね、とうこと。





ということで、本日の記事はここまでです。

また明日。



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再び、重版のお知らせをいただきました。

一週間前に嬉しいお知らせをいただきましたが、

3刷目5000部の増刷が決まりまして、

合計36000部となりました。

多くの皆さんが、応援のためにFBやブログ、

そしてインスタなどでご紹介下さったおかげです。

先日、Instagramで初めて、

ワタナベ薫のハッシュタグを見てみましたら、驚きました。

こんなにたくさんの方が新刊をご紹介下さっていたことに・・・

それ以外にも過去の拙著のご紹介も拝見いたしました。

本当に本当にありがとうございました。心より感謝申し上げます。






美人になる方法@ワタナベ薫 at 00:00 | コメント(0) | ワタナベの思うこと
2016年07月26日の美人になる方法
テーマ:ワタナベの思うこと

朝方の夢 愛する者との別れ

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昨日はモモの夢をみました。

目覚めた時は、切なくて切なくて、

そして、目もじわじわしていて。

でも、目覚めた瞬間は、モモの夢を見た、

とはわからなくて。





目覚めた時には、夢のことを忘れていて、

でも、私的には、夢にはいろんなメッセージが

含まれていたりするので、できるだけ、ベッドの上で、

見た夢がどんなだったか思い出すようにしているんだけど、

すぐには思い出せなくて、「何の夢だっけな・・・

でも、すごく懐かしくて悲しくて切なくて・・・

うーん、思い出せない!ま、いっか!」と思った途端、

モモの夢だったことを思い出しました。





明確な映像は覚えていなかったんだけど、

ただただ、モモのエネルギーを感じる夢。

夢の中で誰かに「最後の別れをしてください」

って言われて、生きているモモに会うのはこれが最後か

・・・と思ったら悲しくて悲しくて・・・っていう夢。





FBでは、1年前の今日、といか2年前の今日、とか

かれこれ4年前までさかのぼって投稿がアップされるので、

一応、見るんですわ。そうすると、元気だった頃のモモが

何度も出てくる。忘れようにも忘れられないですね。





で、先日、数年前のブログを読んでいたら、

ちょうどモモと同じくらいか1歳下だったか、

同じ老齢のダックスを飼っていらっしゃる

読者様のコメントがブログに入っていました。





コメントには、

「モモちゃんが好きなので、写真をブログに乗せてください」と

ありました。確か、その時そのダックスちゃんも14歳だったかな

・・・そのダックスちゃん、元気にしているかな?

それとも・・・と恐る恐る彼女のブログを見に行きました。

その時はすでに、天国に行っていました。





さかのぼって読んでみると、

モモより2、3ヶ月先に、虹の橋を渡ったようでした。

そこからいくつかブログを読んで、飼い主さんの

辛い感情が伝わってきて、涙して読みました。

何ヶ月経っても、悲しいんだよね。





でも、不思議だな・・・、

そして、人間ってすごいな、って思うことがあります。





もうこの世に、モモの物質の体は無いのに、

あの独特な匂いを思い出すことができる。

特徴ある鳴き声を思い出すことができる。

あのフサフサした毛の感触も、フローリングを歩く時の

音も思い出すことができる。

マイケルとじゃれあって、ガル〜、というあの声も、

お日様に当たった時の、なんとも言えない

毛のフカフカした匂いとか、鮮明に思い出すことが

できるんですよね。





そして、いつでも思い出した時に、

身近に感じることができる。

・・・書きながら、思い出して、腕にはポタポタと

大粒の涙が何粒も落ちちゃっているけど。





ペットだけでなく、愛する人を亡くされた方も

同じなのかもしれませんね。

もちろん、最初の年よりは悲しみも少しずつ

時間と共に薄れていったとしても、

記憶だけは何度もリピートできるものだから、

生きていた時よりも、鮮明になっていったり、

そして、肉体の暖かさを感じていたあの懐かしさが、

時に、悲しさや寂しさとして襲われる感覚に

なることがあるでしょうね。





ご両親がもう天国に行かれている方も、

片方の親が亡くなられている方も、

大好きだった、おじいちゃん、おばあちゃん、

もしかしたら兄弟、姉妹、親友、恋人、配偶者、

最も辛いであろう、我が子を亡くされた方、

自分をずっと支えてくれたペットを見送った方も、

時々、急に彼らを思い出して、思いっきり

涙されることがあるかもしれませんが、

それは、故人やペットが「忘れないで時々思い出してよー」

だったり、あなたを励まそうとして、

思い出させているのかもしれませんよね。

そんな時は、感情を解放して、

思いっきり泣いた方がいいですよね。





そして、思いっきり泣いた後は、

笑って笑って!なんでしょうね。





気づいたら、今週末がモモの誕生日でした。

スコーーーーンと忘れてた。思い出してよ、

ってことでしょうかね。

今、慌てて、カレンダーに書きました。

17回目の誕生日は迎えられなかったけど、

実際の予定よりも、2年ほど長く生きたようなので、

大往生であり、そして、最後の心臓の一打ちまで

私が一緒にいて、声をかけたので、モモも大満足ですね。





さあ、笑って笑って。



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美人になる方法@ワタナベ薫 at 00:00 | コメント(1) | ワタナベの思うこと
2016年07月23日の美人になる方法
テーマ:ワタナベの思うこと

あるがままはわがままに生きていいってこと?

【広島セミナー追加募集】

※ごめんなさい。数分で完売致しました。


一瞬にして満席となってしまいました、広島セミナー。

弊社代表川本が、ホテルになんとか掛け合い

彼のかっこよさが功を奏して、あと100席大丈夫になりました(笑)


全部で520席確保いたしました。さすが私の彼!(笑)

こちらから➡︎ セルフコアステートメントセミナー





※入金でお席確保となります。お申し込みから
5日以内に入金が確認されませんと、
自動キャンセルになりますので、お気をつけくださいませ。



========



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「やりたいことは全部やる!自分の人生」

2010年からの弊社のスローガン。

今年は、このテーマで三大都市で講演も行いました。





「やりたいことは全部やる」というスローガンとは言え、

ルール無視、他人様に迷惑かけ放題、

人の気持ちも無視、法を犯そうが、

倫理的なことなど関係ないから、

やりたいことはやっちゃいな!





・・・って、取る人はいないとは思うのですが、

時々、そう取られてしまうというか、

そういう時代?風潮と言いますか・・・





なんだか、あるがままが、わがままやってもいいんだよ、

と取られる方も多くって、少し懸念しております。

思考力が停止した仕方で読みますと、

そのまま鵜呑み状態で、発信者がどういう意図で

言っているかの真意を読めなくなっている、

もしくは、真偽がわからない、というか、

「しっかりー!」と言いたくなることが多々あります。





もし何でもやれて、何にでもなれて、

やりたい放題、他人様に迷惑かけようが、

他人が苦しもうが、好きなことだったらやれ!というのであれば、

この三次元に生まれてくる必要なんてないわけで。

そういう制限が課された中での、自由を私たちは得ているのですから。





例えば、性的衝動というのがありますね。

だからと言って、通りがかりの人をとっ捕まえて

無理やりやったら犯罪なわけです。

本能だけで生きている動物と変わらないですよね。

極端な例えでしょうか?実際にありますよね。そういう犯罪も。





階段登っている時に、

上にいる人のスカートの中を見たくなった、

だから、見ちゃえ!スマホで撮っちゃえ!を

「やりたいこと」だからってやったら、捕まるし。





夫いて子供がいて、おなかすかした乳飲み子を放置してでも、

不倫相手に会いたい、って言って出かけて行ったら、

その責任はどうなるの?そういう中にあって、

自分の責任を果たすこと、そしてそういう一種の不自由に見える

環境の中でも、自分のやりたいこと、そして理性を働かせることなどを

この三次元に来て学んでいるんだよ?ってこと。





やりたいことは、他人の迷惑なんて考えないでやろうよ!

の風潮がありますが、発信者はまさかそういう意図で

言ってるんではないと思うんですが、





読み手はしっかり思考を働かせ、

識別力が必要になってくるのです。






理解はもちろん読み手に任されているとはいえども、

「あるがまま」や「やりたいことをやる」「楽しく生きる!」

をなぜか、「自分勝手に生きる!」と誤解されてる人が多いです。





発信者の意図ではないと信じたいですが、

責任は発信者ではなくて、受け取った側にあるのです。

だから思考力を働かせる必要があるわけです。





数ヶ月前に、ある読者様からのメッセージでの相談をいただきました。

「渡辺さんは、やりたいことを全部やろう、と言っていたので、

もし、それをやろうと思った時に、子供がいたらできない場合、

子供って捨てたっていいんですよね?」

って書かれていまして、もう、めまいがしました。





捨ててもいいわけないでしょ?

そんな簡単なことさえも、わからなくなっていることに

私は驚きを隠せませんでした。





その方は、「あるブロガーが書いてたんですが」

とありましたが、果たして発信者の意図が

本当にそういう意味だったのでしょうか?

私は違うと思うのですが、もしかして、本当に文字通り、

そう捉えている人が多いのでしょうか?

はたまた、何かの例えであるかはわかりませんが、

そういう内容が一人歩き、そのうち暴走していて、

世界が違った方向に行ってるような気がします。





スピでもよく、それにガッツらはまらないために、

地に足をつけた現実的な生き方が大切

とはよく言ったものです。しかし、それは小学生でも

わかるような普通の事柄です。





例えば、「お金は使えば使うほど入ってくる」

と誰かが発信したとして、そのまま鵜呑みにして、

どんどん後先考えず使うかもしれませんが、

結末はどうなるか、小学生でもわかりますよね?





入ってこないのに使ったら、なくなることくらい。

それは、どうぞ夢のなかでやろうね?

そして、管理が必要がないくらい、

お金持ちになったら、それをやろうね、ってこと。

現実的には管理をちゃんとしようね。





あるがままの人生を生きるというのは、

他人様に迷惑をかけてもいいので、

好き勝手に生きる、という意味ではありません。

以前の記事を引用しますが(私たちは自由である、の本当の意味





「人様に迷惑をかけないで生きる」というのは、

謙虚な気持ちを持つ日本人の美しき特質かもしれませんが、

それでも、結局、私たちは迷惑をかけようと思っていなくても、

どっちみちかけているので、かけているなら、もっと

かけていいわけではなくて、逆に、自分も人を許す態度や

そして、知らずして結局迷惑をかけているので、

意識的に、人様に迷惑になるようなことを

かけないような生き方が必要かな、と思うわけです。




================



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「重版出来(しゅったい)ーーー!」

言いたかったこの言葉、今言えました。

ありがたいことに、重版が決まりました。

31000部となりました。ありがとうございます。





書店ランキングでもたくさんの書店で1位をいただきました。

自慢のようですみません。しかしながら、私の力ではなくて、

これはひとえに、サイン本を買ってくださいました、

読者様のおかげでございます。

本当にありがとうございます。





紀伊国屋書店梅田本店・社会1位

くまざわ書店池袋店・文芸1位

三省堂書店名古屋高島屋書店・文学ノンフィクション1位

ブックファーストルミネ新宿店・文芸1位

丸善仙台アエル店・総合1位

有隣堂ルミネ横浜店・文芸書1位

リブロ全店・趣味生活1位






昨夜、ショートメールで編集者から

「重版出来!」と書かれた文字を見たときに、

編集者の喜ぶ顔が浮かび、本当に嬉しかったです。

私は、重版のお知らせがありますと、必ず、

編集者に「おめでとうございます!」と言います。





「おめでとう」をもらえるのは、著者ではなく、

私の観点からしたら、編集者だと思うのです。

目立つ者は、影なる力が偉大で、

その力があるからこそなのです。




FBやSNSなどでご紹介下さった全ての皆様、

心より感謝申し上げますと共に、

皆様の開運、とさらなる運気アップを心よりお祈りいたします。

ありがとうございました。





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美人になる方法@ワタナベ薫 at 00:00 | コメント(1) | ワタナベの思うこと
2016年06月24日の美人になる方法
テーマ:ワタナベの思うこと

もしサイアクなことが・・・

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もしサイアクなことが、

仕事を失うことだとしたら、大丈夫!

がんばって続けてきたことの

リセットの時期だったのだから。





もしサイアクなことが、

彼を失うことだったら、

それはご縁がなかったことを学ぶ機会を得て、

そのあとの本当の幸せになれる人との

ご縁とつながることだから、心配しないで。





もしサイアクな結果が

孤独だとしたら、大丈夫!

それはサイアクなことではなく、

案外楽しいものでもあるから。





もしサイアクなことが

自分の「死」だとしたら、それもまた大丈夫!

死は今生の務めを完了させることができた、

喜ばしいことだから。

死ぬよりも大変なことは

案外生きることだったりもするから。

だから死を不安に思わなくてもいい、という意味。



すべてはなるようにしかならなくて、

そのなるようになることは、

あなたにとって大丈夫なこと。

耐えられること、乗り越えられることが

起きて、私たちはそれをただ観察するだけなのだから。







美人になる方法@ワタナベ薫 at 00:00 | コメント(1) | ワタナベの思うこと
2016年06月19日の美人になる方法
テーマ:ワタナベの思うこと

魔が差すとは

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以前「魔が差す」ことについて

facebookに書いたことがあり、反響のあった記事でしたので、

こちらの記事でも加筆してアップしたいと思います。

魔が差したことがある方からのお言葉をのせましたゆえ、

非常に説得力があるわけです。





で、魔が差したことがあるご本人が、

「魔が差す」ってこう言う意味、と下記のように説明してくれました。





「”魔が差す”って本当にあって、

メンタルが低迷しているような時に、淀んだ空気のところ、

(負の念や妬みや恨みつらみ愛のない性的欲情、

エゴの漂っているようなよどみなところ)に行くと(身を置くと)、

本当に悪魔のようなもの(浮遊霊みたいなものとか)に憑かれしまう、

それが魔が差すっていうことなんだな〜」


・・・と、しみじみ言っていました。





「なるほど〜・・・さすが経験者!」と思いました。

私自身も、知識ではわかっていたことですが、

その本人の様子を第三者目線で見ていると、

いつ悪魔がついていて、いつ抜けているのかが、

よくわかるからです。





で、残念なことに、そこに陥ると、自分では自覚がないのです。

だから、謙虚さや自分に対して「大丈夫か?自分?」と

と問う気持ちやいい意味での疑うことが必要になってくるのです。

私にとっては、警戒すべき最重要な部分なのです。

なぜなら、こうして毎日発信していて、

多少なりとも読者さんたちに影響を与えてしまうから。

だから自分を疑っている、というわけです。





でね、まず、顕著に現れるのは目。目つきが違うのです。

次に顕著に現れるのが言動。

やたら乱暴、投げやり、攻撃的だったりします。





以下に書くことは、少し精神世界寄りではあるのですが、

あともう1つ、浮遊霊というか、悪魔というか、

そういうものに好まれる特質、というのがあります。

それは、自己顕示欲、過度な承認欲求、過度な欲望

過度にお金と地位名誉に憧れを抱き

その高まりまくった感情のまま、それを得ている人を妬む状態





もちろん、お金が欲しいと目立ちたいも別に悪くはないし、

やってみたいならそれもありですが、過度に!が危険。

その時に、負の感情が出るくらいにそれらを望むと危険です。

楽しい、ワクワク、イエーイ!と違って、気をつけるのは、

負の感情が出るくらい、というところ。





憎しみ、ねたみ、競争心、など、

不快な感情が出るほど、望む、渇望している状態が長引くと

魔が差す危険性が高まるのです。

つまり、悪魔に好かれてしまう。





言い方を変えれば、そのような人の夢を

悪魔がそれを助けてくれるわけです。

悪魔って、いろんな言い方がありますけどね。

人々の淀んだ想念のようなものだったり、

それこそ、浮遊霊のようなものだったり・・・

悪魔はそういう人々を用いて、今度は多くの人々を

そういった淀んだの世界に連れて行きたいので、

その人を応援するんですよね。





時に人は、そういう状態になることがあります。

目標や夢だってあるでしょうが、それが

歪んだ形になってしまうと危険。

しかし、そういうことの危険性をわかっていれば、

自分の足元がすくわれぬよう、気を付けて生きていきますし、

そうならぬよう自身を見守るものなのです。





また、もう1つの危険性は、

「ない」ところから「ある状態」になったとき、

おかげさまの精神を忘れ、感謝の念ももたず、

自分で自分に栄誉を与えてしまう状態。





これもまた、恰好の餌食になりやすいものです。

そういう人々の行く末は、皆さんもお分かりかと思うので

書きませんが、人は他の人と影響しあっていますので、

誰もがそうなる危険性があるわけです。





さて、その魔が差す、ということについて

教えてくれたご本人ですが、結局、その人は付き合っている人々が、

淀んだところに身を置いている人々なので、

せっかくそこから抜けたのに、また戻ってしまった状態。




魔が差した状態って、自分では気づきにくいもの。

だから、感謝の気持ちやおかげさまの気持ち、

謙虚に足元すくわれぬように自身を見守ることって

本当に大切である、ということです。





私の場合は、信頼のおける人々や、

あちらの能力がおありの方々に、

「私が少しでも変になったら教えて!!」と

しつこいくらいにお願いしています。





自己防衛できるとしたら、メンタルの低下を長い時間許さないこと、

これまた長時間、人を憎んだり妬んだりせず、

過度な色情にも気をつけること、などなど。

こういう時に魔が指しやすいので。





仙台もかなり暑くなってきました。

ジメジメの季節ではありますが、

心は爽やかに過ごしていきたいですね。

それではまた明日。







美人になる方法@ワタナベ薫 at 00:00 | コメント(0) | ワタナベの思うこと
2016年06月17日の美人になる方法
テーマ:ワタナベの思うこと

無題

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私たちは自然と共に生き、

自然と共に成長し、

変化する宇宙の中にいて変化していくもの。






「これは何を教えてくれるのだろうか?」

と自らに問う時に、誰も教えてくれなかった

自分だけのすごい教えを拾っていくことになる。

自然は偉大な教師のよう。





気持ち悪く見える芋虫が、

優雅に舞う蝶々になることは何を教えてくれるだろう?

その天と地ほどにも違う変化は、自らに何を教えてくれる?





憂鬱な梅雨の季節、その梅雨の果たす役目は

私たちに何を教えてくれる?





農家の人が種をまき、

苗を大切に育てて大事に成長させ、

温かい温室から、急激に寒さの泥の中に植えられて、

そのあと、夏のジリジリと照り渡る太陽にさらされながらも、

大空と太陽に向かってまっすぐ伸びる稲。





暑さを耐え忍び、実を付け、

今度はまた地面を見つめる稲たち。

やっと成長したと思えば、刈り取られ

そして、土は堅くなる前にまた耕される。

次の世代のために・・・





もし、稲を自分に、大地や自然を

自らの環境に当てはめるとしたら、何を学べるか?

何を拾えるか?何を適用していくか?





自然は、変化していき、

私たち人間は、変化の中で生きて行く。

時に人は、その変化を恐れ、抵抗し、

そのままでいいと立ち止まろうとする。





もし、そこに生きづらさや苦しさが伴っていたら、

それはその生き方は違うよ、

と教えてくれていることなのかもしれない。

もっと自由に伸び伸びとしていい、という。





しかし、それでいて、

試練も苦しみも生きている証として、

自然の流れにゆだねた時に、

またその試練は貴重な学びに変わる。





自然に逆い、もがき、抵抗し、執着し、

ジタバタしていることこそが、

ずっとその場所に居続ける事になり

その苦しみからは解放されない。





人は、変化する生き物だから、

変化しないことは自然ではなく

「不自然」なのだから息苦しい。





と、今日はつらつらと思い綴っているうちに、

何だか土に帰りたい気持ちになる。

土って・・・笑

できれば、セドナにある赤い土に・・・

人の成分は土であり、宇宙であり、分解に分解を重ねると、

そこら辺にある、石ころや塵となんら変わらないのでね。





私たち人間はただの素粒子。

それには上も下もなく、

どっちが優れていると言うこともなく、

どっちが劣っていると言うこともなく、

ただの粒子。





そう考えると、誰も何者でもなく、

ただ役割を演じているだけだな〜、

と思えてきた今日この頃。





本当は、もっともっと楽に生きられるんだよ、

ということを伝えたいのかもしれません。

辛かったあの日の私のような人々に。







美人になる方法@ワタナベ薫 at 00:00 | コメント(0) | ワタナベの思うこと
2016年05月30日の美人になる方法
テーマ:ワタナベの思うこと

40代最後の1年どう生きるか?

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・・・なんて書いておきながら、

実は私は、誕生日にも記念日にもあまり

興味がないのが実情でして、40代最後の1年だから、

どーのこーのはないのですが、しかしここはひとつ、

どーのこーの生きてみようと思う1年にするつもりです。

私は今日で49歳になりました。





1967年5月30日生まれ。帝王切開で生まれました。

帝王切開の「帝王」ってなぜに「帝王」かというと、

帝王学に基づいた出産だそうで、中国の四柱推命からの

王家のご子息をいつ産ませたらいいのか、計算して、

お腹を切って産ませたことが由来だそうで。





と言っても、私は庶民の子ですから、

別にそんな大それた背景で生まれたわけではないのですが、

私は、産道を通る苦しみを味わわずして、

ジャジャーン!ってお腹から取り上げられたので、

我慢ができない性分が現れているのか?(関係ないと思う)

我が道を行く勝手な気質があるのかもしれません。





しかしながら、帝王切開といえども、

私が5月30日に生まれたのは、なんだか

決まっていたような気さえしています。





今年から(実際先月末から5月にかけて)、

ガラリとまた人生の運気が変わった感満載な出来事も多く、

そして、これまでの生き方、ビジネス、人間関係も、

全く違った方向性になっていくのが、

この1年だと思っています。





予想もしなかった、とんでもない世界への道が開かれたり、

それに伴って、現実がそんな風だからこそ、

変わってはいけない内なる部分と、そして、

そのかわりゆく世界を受け入れらる器を養うべく

精神性の成長をする1年にしようとも思っています。





つまり、自己の教育に集中することと、

新しいビジネスに力を入れていこうと思う、

そんな1年にするつもりです。





未熟さが目立ちますが、そんな青くて

未熟な自分もまた、いいな、と思えはしますが、

年をとれば経験が増し加わり、放置しておいても

精神性は熟されていくのか?というとそうでもなくて、

学ぼうとする者、成長しようとする者、そして

そこに到達する前に、プロセスの一環として、

今のままの自分を受け入れられるようにすること、

これが円熟に向かっていくのかな・・・とも思っています。





しかし、新たな世界に行くには、

今捨てるもの(淘汰されなければならないもの)、

そして、増やさないこと(物も人間関係も)

よりいっそうシンプルな生活、妥協のないものだけを

自分の近くに置くことを念頭に入れた生活に

さらにシフトしていかなければならないような気がしています。





特に、人間関係。





こんな言い方をしたら、

本当に冷たいやつなのですが、私は人間関係を増やしませんし、

人脈とか繋がりなどを重視していません。

人は変わる生き物なので、波動が合わなくなることもあり、

そうなった時に、無理な付き合いを続ける、ということもしません。

もちろん、現在純粋な気持ちで助けてくれている

愛する友たち、ビジネスパートナーには

心より感謝しております。





しかし、むやみに誰かと繋がろうとせずとも、

極論言えば、すべての人はつながっている、一つなのです。

一つであるということは、他者に吐き出す悪い言葉も、

他人に向けての嫌悪も、そして温かい心も愛も感謝も、

結局実は自分に向けているのと同じ。





ちょっと忘れてしまったのですが、超有名な女性、

誰だったかすっかり忘れたのですが、

その方が、人間関係一つ増やすたら、

一つ減らすくらいの気持ちで生きている、




みたいなことが書かれていて、

本当にそうだよな・・・と思ったことがあったのです。

私は多分特異体質なのだと思うのですが、

本当に親しい人が一人世の中にいたら、

それで満足してしまうのです。




そして、一人でいることが好きでして、

社会不適合者じゃないだろうか?と思うこともあります。

もちろん、初対面でも楽しく盛り上がり、

お酒だって飲めるし、飲み会だって行けます。

その場を本気で楽しむこともできます。





・・・が、それらは一人でいる時間は

私にとっての、内観の時間でもあり、

潜在意識との会話の時間でもあるので、

人生の中ではとても重要な時間なのです。




ですから、大変失礼な話なのですが、

ビジネス上の関係のある人のお誕生日に呼ばれても、

記念パーティーに呼ばれても、親しい間柄の

コミュニティーの参加の招待が来ましても、

お断りしている次第です。





そして、私のすごく親しい人々は、

そういうものに私を誘いませんし、引っ張り出しません。

なぜなら彼女たち(彼ら)は

私がそういう人ではないと知っているので、

尊重しているのでしょう。



話がそれましたが、

望んだこともないような未来が

思いもしない形で訪れることは、これまでも何度もありました。

ボーーーッと考えていることは執着もなく、やり方もわからず、

それでいて、別に叶っても叶わなくても、

それでも今得ている、小さな小さな幸せを本当に

味わい切っていると、そんな風なギフトが

神様からやってくるんだな、とつくづく思います。





今日から49歳。29歳の時は精神的に死にそうになり、

39歳でブログ開設して人生が変わり、

そして49歳を迎えて、どうなることやら・・・

しかし、波乱万丈には違いないでしょうね。

いつもそんな人生ですから。しかし、

山あって谷があっても、愛と感謝と笑いを忘れず、

少年のように40代最後の1年も過ごしていこうと思います。

これからも、ワタナベとマイケルをよろしくお願い致します。







美人になる方法@ワタナベ薫 at 00:00 | コメント(8) | ワタナベの思うこと
2016年05月15日の美人になる方法
テーマ:ワタナベの思うこと

自分の人生 自分のもの

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今日の命、明日の命が続くかどうかは

誰にもわかりません。

しかし皆、明日もまた生きると思っています。





誰もが皆、死ぬまで生きる





そして、そのお迎えはいつ来るかはわからないのです。

だからこそ、精一杯、悔いなき人生を送る。





やらなきゃ、やらないで、他人は文句を言います。

やればやったで、他人は文句を言います。





ならば、やりたいことを我慢することも

やりたくないことを我慢してやることもしなくてよくて、

いつ来るか分からぬお迎えの前に、

自分らしくのびのびと生きた方がよっぽどいい。

他人の目を気にしている暇などなし。

人生は思ったよりも短いのです。





誰の人生でもなく、自分の人生。

自分の人生自分のもの






=================

今日から二日間、東京出張です。

夏には過去の書籍が、文庫化されます。

その表紙の相談です。以前のとは全く違った装丁でいきます。

さらに、2017年の手帳と別の出版の話。

もう、気分は2017年。早いですね。





みなさんの、手帳のご意見を取り入れられるよう、

伝えてみますね。ご協力いただき、心より感謝しております。

本当にありがとうございます。





東京への出張は、私にとっては息抜きになります。

時々、忙しくて、仙台からわざわざ東京に行ったのに、

大丸の一つのカフェから、一歩も出ず、

そこで4社と打ち合わせだけして、そのまま

仙台に帰る、なんてことも時々ありますが、

今回は、気分転換も兼ねて泊りがけで行ってきます。

ではまた明日。





美人になる方法@ワタナベ薫 at 00:49 | コメント(0) | ワタナベの思うこと
2016年05月11日の美人になる方法
テーマ:ワタナベの思うこと

心のあり方が顔を作る

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心のあり方というものが、顔を作っていくのだな、と

50歳前のこの歳になると、余計にそれを感じます。

外見美ではないのです。





と言っても、言葉遣いでもなくて、

心のあり方が、何を言っているか?伝えているか?

そしてどういう行動をとっているのか?

それらが表情や顔のくせにも、多大な影響を及ぼしているもの。





例え、どんなにお顔立ちが整っていても、

スタイルが良くてスレンダーでも、

トータル的に容姿が美しくても、

心は隠せないものです。





若いうちは、若さでそれらは隠せても、

長年の心の傾向というのは、歳をとればとるほど、

顔に刻み込まれていくもの。

隠せるのは、30代まででしょうね。

40代だと如実に表れていると経験上感じます。

科学的な根拠はありませんけどね(笑)





あなたは心のあり方で

大切にしていること、ありますか?





人々に親切にすることや

礼儀を尽くすこと

人を見下げたり蔑んだりしない

自分が何者かにでもなったかのように

高飛車な態度を取らないこととか

他人様への敬意を払うこととか

感謝の気持ちを忘れないとか・・・






昨日、あるお菓子メーカーの会長さんの 

You Tubeを見ました。70代の会長さんとその弟である

社長さんの、感謝の気持ちと、社員を想う気持ちと、

人知れず、陰なるところで早朝4時台から社員が

働きやすくするために、事前の準備として働いている。





工場に入る前に、工場の商品に向かって

「ありがとうございます!」を何度もいい、

そして、家では社員の幸せを言葉に出して何度も祈る。

それが日課だそうです。





じゃんけん大会をして、勝った社員に、

500万円あげたり、世界一周旅行をあげたり、

1000万円の高級車をプレゼントしたり、

金の延べ棒やら、テレビやらを上げる。

社員の喜ぶ顔が自分の喜びだとおっしゃっていて、

何千万円も社員に還元しています。





その顔はまるで、福の神のような優しい顔で、

我欲がないお顔立ちとでもいいましょうか・・・

私は、美人や美しい顔立ちというよりも、

こういう人を癒すような優しい顔立ちになりたい、と

会長さんを見てそう思いました。





と言っても、まだまだ煩悩を捨てた生活を

したいわけではありませんが、それでも、

お金の使い方はこの会長さんのようでありたいと思いました。





心のあり方は、生き方に反映されますが

それと共に、顔立ちにも隠したくても出てきます

人は、時々欲望が高じると、自分を肥やすことだけに

目がいってしまいがちですが、見張っていないと

容易にそちらに流されてしまいます。





自分を見張ることも必要ですね。

時々厳しく、そして穏やかにゆるやかに。





優しく慈愛に満ちた「あくのない顔立ち」は、

美しき心、愛ある心から作られるから。

煩悩もありますが、大切なことは心の真ん中に置いて、

生きていこうと思います。ほんじゃらまた明日。





美人になる方法@ワタナベ薫 at 02:21 | コメント(1) | ワタナベの思うこと
2016年05月09日の美人になる方法
テーマ:ワタナベの思うこと

人を見えるもので判断することの愚かさ

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顧客の立場になると、軽くあしらわれているな、とか

馬鹿にされているな、とか、この営業マン、

めちゃめちゃ賢い人だわ、とか、セールスの仕方から、

様々なことを勉強させてもらっています。

人間ウォッチングが楽しいですね。

私も営業の仕事は色々といたしましたので、

顧客の立場のみならず、営業マンの立場で

物事を見ることもあります。





で、今日の記事は、私のただの価値感、

主観程度のことですので、さらりとお読みになってみてください。





以前は、一戸建てやマンションのモデルハウス見学が趣味でした。

何せ夫が若いものですから(さらに若く見える)、

二人で普段着とかで行きますと、

「お前らに買えないだろう?どうせ冷やかしできてんだろう?」

みたいな態度を営業マンに取られることも多々ありました。

つっけんどんな対応に、さらにアンケートすら取らない。





普通、モデルハウスに行きますと、

アンケートとか書かせられることがほとんどで、

営業マンはそれからパンフレットを送ったりして

営業をかけて、見込み客にしていきます。





人を見た目で判断する人は、最初から営業する気なし。

しかし、賢い営業マンは違います。

もし、お金を持っている風に見えない

若い夫婦が見学に来たとしても、

その両親が持っているかもしれない、という視点で、

二世帯住宅を勧めてきたりします。

「今度、ご両親と一緒に見に来てください」とかね。





対応もご丁寧で、腰が低く、そして、

アンケートもお願いされ、もし、今買えなくても、

いつか買えるかもしれない、という視点を持っており、

パイプはつないでおこう、と思うのでしょう。

見込み客増えますね。営業をかける見込み客がいなくなれば、

買う可能性が低く見える人たちでも、たまには顔を出すとか

声をかけるなどして、その関係を温めることをしています。





客としては、そういう偏見のない態度を持ち、

丁寧な対応をする営業マンから買いたい、

という気持ちになりますね。

特に、私はそうした部分を大事にしています。





数年前に、ランボルギーニを見に行ったことがありました。

ランボルギーニを見せてもらった時は、対応がちょっとね・・・

・・・トランクを開けて見せてもらった時、

私は、「狭いですね!荷物、入りませんね?」と言ったら、

「まぁ〜、荷物運ぶ車じゃないんで・・・笑」鼻で笑ってました。





で、それに対して私は、

「いやほら、旅行とかの時、スーツケースつむでしょ?」

って言ったら、「こう言うお車に乗られる方は、

前もって荷物は飛行場に送りますから 笑」と、





・・・ああ言えば上祐。

・・・コンニャロメ(笑)






もっと違うところにセールストーク使え!

とか心の中で吐きまくっていましたが(笑)

買うことがあっても、お前のところでは買わん!

・・・とかって思ったりしてね。





で、1年ほど前に今の車を買ったんですが、

買う前に一応、リサーチというのをしました。

アメ車ですから、値段はどこも変わらないのは知っていましたが、

そのお店の雰囲気や、アフターサービスや

あとは営業マンの態度がいいかどうかなどを見ます。





買う前に3軒ほど見に行きました。

1軒目は、普通の対応。普通と言っても、

外車を扱うディーラーさんは、お客さんに媚びませんし、

買って欲しい態度もあまりしませんし、セールスしません。

値引きもない模様・・・それは初めて知ったのですがね。

つまり、買いに来る人は、お金がある人たちばかりなので、

値切らない、だから値引き、ということもないそうです。





で、2軒目。

人間味のある、心ある対応でした。

そこの会社の社長さんが、マセラティに乗っていらっしゃってて、

営業マンは「マセラティ、見ていきますか?」と

車の営業とは全く関係なしに、車好きな私たちに

車を何台か見せてくれました。超好印象。





そして、3軒目・・・

ここは、ひどかった・・・ネタにしたいディーラーでした。

もちろん、営業妨害したいわけではないので、

どこかなどは書きませんが、そんなに人を見下さなくても・・・

と思える対応でした。





こんなにも人を偏見の目で見て、人を見下し、

それを言葉に表して顧客に伝えるとは、驚きを隠せず、

途中から人間ウォッチングに徹しました(笑)





ま、夫婦揃って、破れたデニムに、Tシャツという

なんともカジュアルな格好で行ったのでね、

服装と夫の見た目年齢で判断されたのかと思うのですが。

そのクソ営業マンは「一般人」という言葉を使ってはいましたが、

会話の前後関係からは、その「一般人」という言葉は、

差別的に「庶民」という言葉を使っているかのような意味合い、

何度もその用語を使っていました。





私は、営業マンの話を聞いてて、怒りを通り越して、

この人は、客にどこまで失礼なことを言うのだろうか、

と、逆に興味深く聴いていました。





「うちは一般人のお客さんがいなくて、

医者とか弁護士とかがお客さんばかりなんですよぉ〜」

「みなさん、ヨーロッパ車ばかり買われますね」

「うちで、アメ車なんて買う人、いないですね」





もう、どれも「で?」って言いたくなるような話ばかり。

私は、丁寧過ぎるくらいバカ丁寧に

「御社様の顧客は、医者と弁護士だけなのですか?

○○さん(営業マンの名前)が言われる、一般人は

顧客にいなくて、そして、ここでは、コルベット(アメ車)は

売っては下さらないのですか?」と聞きました。





「いや、そうではないですが、うちのお客さんは、

ヨーロッパ車が多くて、みんな紹介でうちに買いに来るんですよ」

私は「あ、ということは、御社様は、一見さんお断りのだったのですね・・・

申し訳ございません。存じませんで・・・」と言いました。





「そんなことはないですが、アメ車は人気ないですよ」

・・・って、おまっ、アメ車が好きで、

アメ車を買いに来てんだ、バカヤロー!って話で、

アメ車が欲しい、って言っている客に向かってそれはないでしょ?

で、極め付けはこんなウソを言っていました。





「アメ車買って、故障した時に、部品とかないから

車壊れたら終わりですよ」・・・って・・・

思わず、アワワワワワワ・・・すごい営業トーク(笑)

バカでも、そのトークだけは嘘だってわかるでしょ?





私はこう言いました。

「ならば、アメ車売っている会社、車売った後に、

故障して部品なくて、アフターもできなかったら、

顧客が怒って、変なウワサ流されて、

潰れんだろがぁーーーー!!アホかー」という内容を、

バカ丁寧な言葉に、脳内翻訳機で、翻訳しなおしてから

その営業マンにお伝えいたしましたでございます(笑)





私は「売っていただけないようなので、帰ります。

ここに来る前に見てきた、すぐそこの○○自動車さんは、

私たち一般人にも、売って下さるみたいなので、

そこから買うことにします」と言い放ったら、

やっと、私たちが本気で買うつもりであることを

理解したみたいで、そのあとの手の平を返したような対応が、

見ていて可笑しかったです。あたふたあたふた・・・

あわわわわ・・・みたいな。そして、

一応引き止めようとする言葉虚しく、

私はもう立ち上がって、バカ丁寧に頭を下げて

帰ってきました。





そして、結局買うことにしたディーラーさんに

そこで受けた経緯を(会社名は伏せて)話しました。

私は、「服装や乗っている車で、その人を判断しますか?」と

聞きました。すると返ってきた答えが、





「うちに来るお客さん、漁師とかも多くてね、

軽トラできて、長靴に汚い作業服でくるんですよ。

で、来たその日に何千万円もする外車1台、

現金でポンって買っていくような人が多いんで、

見た目で判断は、絶対にしませんよ」





そういうことなのです。本当、わからない。

見た目が9割・・・という言葉もあるかもしれませんが、

それは一応、心の中に秘めておいて、

服装や年齢などの外見的要素に振り回されず、

それ以外の部分を洞察していものです。





外的要素で人を判断するのは非常に危険です。

もちろん、ファーストインプレッションは

外見でしか判断できないものですが、

しかし、絶対的な情報というのは、

そこで100%得られるわけではなく、そして、

自分にそれが見抜けるなどども思わないほうがいいですね。





さっきのディーラーのクソ営業マンみたいに、

医者だの弁護士だの、そしてお金があるなしばかりを話題にして、

一般人(庶民)を見下すような話し方は逆に品がないですね・・・

そういう方々を相手にしている自分、という立場を、

何か勘違いなさって、一段上にいるような

感覚にでもなっているのでしょうね。

別に、自分が医者でも弁護士でもないのに・・・アホか・・・

心の貧しさって、まずは言葉に表れるから。





そういうものでしか、人を判断できない心貧しき人間もまた、

残念ながら、現代において幅を利かせているようですので、

識別力、判断力、そして人間力を養い、

心を引き締めていきたいと思います。





人は、付き合う人のようになる・・・

類友の法則は、引き寄せの法則でもあります。

人様をお金や見た目などで判断したり、

偏見の態度、差別的用語を発するする人、

気をつけたいものです。





休みボケの方もいらっしゃるかと思いますが、

気合いを入れて一週間の始まり、元気にいってらっしゃい!

・・・って朝のラジオみたいな終わり方になってしまいました(笑)

ではまた明日!







美人になる方法@ワタナベ薫 at 00:06 | コメント(1) | ワタナベの思うこと
2016年05月08日の美人になる方法
テーマ:ワタナベの思うこと

年老いていく母を想う 

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先日、渡辺家の家紋のことを書きましたが、

どんな着物だったっけかな〜、と思い、引っ張り出してみました。

無地に菊柄、そして、一つ紋の色留袖でした。

一つ紋だから正式の場所に来ていくような着物ではないですが、

私が、小学生くらいの時から、コツコツと

着物貯金をしてくれていたみたいで、私が高校の時から、

少しずつ着物をいくつか揃えてくれました。





別にお金がある家ではないのに、子を想う気持ちが

この着物には込められているんだな、と、

50目の前にして、胸が痛くなりました。

「着物を作ってくれてありがとう、お母さん」と

この着物を着て、お礼を母に言いたいと思いました。





今日の記事は、2年半前に書いた「母の財布」という

記事を加筆修正して送ります。





バタバタしていて、

今日が「母の日」であること、さっき思い出しました。

基本、私はイベントごとをあまりやらないものでして、

昨年は、母の日からちょっと遅れて実家に行って、

母にお小遣いを上げてきただけのお祝いでした。

毎年そんな感じです。





親に、家を建ててあげたい!という願いが私にはありました。

古い家なので、きっと両親もそれを望んでいると

思っていましたが、「興味がない」どころか、

引っ越しやら整理やらが面倒らしく、数年前に、

「いらない」って言われてしまいました。

親の心、子知らずの逆バージョンね(笑)





母は、物をもらっても喜ばないです。花も別に喜ばない。

クールなのです。だから母の日でも、現金が一番活用できるかな、と。

母や、美味しいものを食べるとか、物質にも全く興味なし。

お小遣いだと、そのお金で、孫にお小遣いを上げれる、

何かを買って、近所の友達にあげる、とか

そんなことが喜びのようです。





実家に帰ったときに、母の食料品の買い物を手伝ったりします。

ま、年寄り一人で醤油やら油やらと色々と買うには重すぎるし。

母は買い物カートを押した方が、歩きやすいと言う事で、

(もう、見た目はすっかり腰も曲がった老人)

母がこれとか、あれ、と言った物を私がカートに入れていくのです。





今から12年ほど前に、

大きな病気をしてから母は一気に老け込みました。

闘病生活後は、一切髪を染めるのをやめたので、髪も真っ白。

もうヨボヨボのおばあちゃんです。それを見るのが切ないですね。

勝手な見方です。本人、別にどうってことないと思っていますが。





で、スーパーで買い物を手伝っている時、

精算は、私が支払ったり、母がお金を出したりですが、

母がお金を出すときは、1万円札を私に渡し、

私がレジに行くのですが、私は、

「小銭も出したいから財布ごと頂戴」

と言って、精算しに行きます。





手渡された財布は鉛でも入ってんじゃないの?

ってなくらい、非常に重い。すごく重い。

びっくりするぐらい重い・・・





財布をあけてビックリ。この重さは小銭が原因。

小銭だけで何千円もあるのでは?というくらい

小銭が貯まっているのです。





私は、レジに並んでいる間に、小銭を手の上に

100円、50円、10円、5円、1円とそろえておき、

ほぼその小銭を使い切ります。





後ろに別のお客さんが並んでたので、

「時間がかかってごめんなさい」と謝ります。

「なんもなんも」と言いながら寛大に許してくれ、

そして店員にも「小銭ばっかでごめんなさい」と謝ります。

店員は「逆に小銭不足なので助かります」と言ってくれます。

田舎の人の優しさですね・・・

そんな小さな優しさに溢れた田舎に母が住んでいること、

ちょっと安心材料だったりします。





精算が終わり、私は母の元にいき、ちょっときつめに、

「なんで小銭を遣わないの!増えていくばかりで、

財布が重くなってしまうじゃん!」。

それに対し、母は・・・・・・





「小銭が取り出せなくなった」と

ポツリと言いました。






最初、私は「ん?何で?」と思いましたが、

そのあと、ハッとしました。





母は、十数年ほど前からリウマチになってしまい、

細かい手の動きが出来なくなり、布巾や雑巾を絞るとかの

動きもダメで、台ふきんなどはキュッって絞れていない。

実家の布巾はいつもちょっと水分多め。





母が小銭を遣わない理由は、そういうことなのでした。

スーパーなどでレジに並ぶと、よく老人が細かい小銭を出そうとして、

モタモタして後ろの人を待たせている様子を見た事があるかもしれません。

後ろに並んでいる人は、急いでいたりすると、

イライラするかもしれませんね。





母は、自分が小銭を出すことで、

後ろの人に迷惑をかけたくないし、

何しろ、スムースに小銭が取れないもどかしさがいやで、

すぐに札をそのまま遣い、細かいおつりが出たそれを

財布に入れっぱなしにしておくので、

小銭が財布に貯まりまくりなのです。





自分から見て、他人の意味不明な行動であっても、

必ずやそれなりの納得できる理由があるものなのです。





母のパンパンになった財布に対して、洞察力が働かず、

ちょっと強い口調で、責めてしまった事をそのときを反省し、

常に、年寄りの目線、体が思うように動かない老人の思い、

その時以降、より一層、そういうところに意識を

向けるようになりました。





2年半前に、この記事をブログにアップした時に、

コメント欄に横浜銀蠅の翔さんがコメントくださって

驚いたことがありました。我らの時代では青春の真っ只中の

アーティスト。彼のコメントには、母を想う優しさが

溢れていて、ジワワワワ・・・と温かい気持ちになりました。





「俺の母親も 高齢です 

 スーパー買い出しは週3ペースで行ってます (笑)

 だから野菜の値段や 肉の値段に詳しくなりました(笑)

 支払い時は俺がやってますよ 小銭は俺の持ち出し・・(笑)

 なので俺の小銭入れは いつも パンパンです

 一緒に居ないと わからない事多いですよね

 母親に限らず 高齢者の方たちは 
 
 色々な事気にして生活してますよね

 できるだけ 先読みして 手助けしたいと 俺も考えてます

 お互いに頑張りましょう」





週に3回も偉いな・・・





あと何回、親と食事ができるでしょうね。

あと何回、親と出かけられるでしょうね。

あと何回、親に会えるでしょうね・・・





海外で暮らしていて、日本に親御さんがいらっしゃる方は、

切なくなるかもしれませんが、近くに住んでいても、

私のように、心配とかあまりしないタイプは、

親、放置気味なので、もうちょっと気遣おうと、

思いを新たにした母の日でした。





私の母は、何をしてもあまり喜びませんが、

私が元気で幸せで、仕事をしていると、

静かに穏やかにふつふつと喜んでいるようなので、

これからも私自身が幸せでいようと思います。





ただ、心配だけはかけたくないな、と思うのです。

年寄りは体力がないので、メンタルが体に響くのでね。

子は親に心配をかけたくなくて、親は子を心配したい





私は母親の立場の皆さんをとても尊敬しています。

私は親になることはなかったので、子育てを想像すると

すごい!!と本当に思います。それをこなされてきた

母親の皆さんは、スーパーウーマンです!!本当に。





子育てが終ったお母さんも、そして、今、

母親として奮闘中の皆様も、どうぞ楽しく人生を歩まれて、

そして自分がまず幸せでいて欲しいと思います。





子供は、小さくても、私のような中年になっても、

お母さんが悩みがなく、自分の人生を生きて

元気で幸せで、キラキラしていることを、願っているので。

それでは素敵なMother’s Day をお過ごしくださいませ。





美人になる方法@ワタナベ薫 at 02:00 | コメント(0) | ワタナベの思うこと
2016年04月24日の美人になる方法
テーマ:ワタナベの思うこと

大暴れでありながら、美しき生き方を望む

まず最初にお知らせです。本日4月24日、

先日収録いたしましたラジオ番組の放送日でした。

告知するのすっかり忘れていました。





講演会にいらしてくださった読者様からお声がけいただき、

テーマが「お金」についてのトークを、DJさんと

少しの時間お話しさせていただきました。

一応、地域限定関西圏の放送ではありますが、

インターネットラジオで聞くことができます。詳細は下記です。





◆FM HANAKO 82.4MHz 大阪府守口市のFMコミュニティラジオ局 

◆視聴可能範囲 守口市、門真市を中心に聴いていただけます。 

詳細は、HP内左側の「HANAKO紹介」よりご確認いただけます。

視聴可能範囲外に在住されている方へ 

・パソコンでは、サイマルラジオから 

・スマートフォンでは、ListenRadio(リスラジ無料アプリ)の 

[全国のラジオ局]ー[近畿]ー[FM HANAKO]を選択で聞けます。

◆番組の紹介 番組名:はな*スタCafe 

 放送日時:毎週日曜日 午後3時〜4時 



==================



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さてさて、京都、広島、愛媛県今治、山口県岩国を巡る

一人旅も終わり、やっと家に着きました。

たった4日間でしたが、長い旅でした。

最初に申し上げたとおり、キャパが広がった一人旅。

これで、日本中、どこにでも一人で行ける自信がつきました。

ま、新幹線の待っている場所が間違って乗り遅れたりなどは

ありましたし、忘れもんだらけでしたし、いろいろと

ありましたが、無事終わりました。





この行動力は、やはりマイケル手帳に書き込んだ、

ということも関係があるのですが、あともう一つは、

昨年チャレンジした大型バイクの免許が大きかったと思います。

重い荷物が筋トレになっているので、ハイヒール履いて

ガシガシあちこち歩きまして、なんだか足腰

鍛えられたかのような気がしました。





今回の旅行は、本当にいろんなことを考える機会となりました。

「生き方」

「人として」

「美しさ」
など、

内なるところを今一度再確認して、そして、

自らの方向性をじっくり考えて、感じて、

潜在意識の声に耳を傾ける機会となりました。





温泉にボーーーっと浸かっていますと、

さすが、地のパワー!そのパワーが体に入ってくる感じ。

グランディング効果もあると感じました。

最後の岩国での旅館では、お部屋に露天風呂が

ついていましたので、合計朝晩5回くらいお湯に浸かって

いろいろと思い巡らしました。





そうそう。ハワイに行った時に、ホテルで何もせず、

ボーーーーーっとしていて、2016年の構想を練っていた時

とよく似ています。ひらめくわひらめくわ。

温泉の掛け流しの音、チョロチョロチョロ・・・

ひらめきは、水のあるところで起きやすいので、

この音のおかげもあるのかと思います。





やっぱり、忙しい生活ばかりを送っていては

いけないのだな、と思った瞬間でもありました。

私たちは、別に座禅をくんだり、時間をとって瞑想したりせずとも、

何もせず、自然の中で(ここは重要)、ボォ〜とするだけで、

直感が冴えるわ、潜在意識からの声はキャッチできるわ、

アイディアもいろいろと湧いてくるわで、

それらがいかに必要か、ということです。





なぜ自然がいいかと言いますと、自然は完璧だから、

その場に身を置くことで、本来持つ人間の良い資質が、

その完璧さにチューニングすることになるからです。





体のあちこちの部位には、それぞれの特有の

周波数を発しているのですが、普段のストレスフルな生活や、

電磁波を浴びたり、感情を乱したりしますと、

その周波数が乱れるわけです。





だから、ちゃんと正しい周波数にチューニングしないと、

その部位が痛くなったり、病気になったり、

おかしくなったりするのです。

だからこそ、自然が必要になってくるわけです。





田舎に住んでいらっしゃる方はラッキーですね。

空を仰ぎ、緑の山々に癒され、鳥たちの声にも

心穏やかになり・・・当たり前の風景になりがちですが、

改めて、自然の恵みの素晴らしさに意識を向けてみてください。





私自身、今回のように自然に戯れるたびに、

「もっとそういう場所に身を置きたい」と決意が強まります。

もっと頻繁に計画しようと思いました。





4年ぶりに会った友との話も、本当に本当に有意義でした。

話す内容は、普通の人との会話では全くないのですがね。

私が一番大好きな話、見えないところの話です。

外見でもなく、お金でもなく、地位でも名誉でもなく、

生きる上で一番大事なのは何か?とかどう生きるか?とか

何を発信していくのか?などなど。





日本人のDNAを引き継いでいる我々は

やはり、恭しさや品格、謙虚、慎ましさ、

そして、底力や忍耐力などのほめるべき資質、

(かといって、疲弊するような歪んだ忍耐ではなくて)

そうしたもともと備わっている美しさがあるので、

そういった部分を大切に生きていきたいと

改めて思った一人旅なのでした。

多くの人々に、支えられ、もてなされ、

生きる力をいただきました。





人生、終わりが来るまであっと言う間でしょうね。

先日、30歳になったような気がします。鮮明に覚えています。

あれからまさか、約20年が経つなんて本当に時間というのは、

相対的なものであるのがわかります。





何もしないでただ惰性で生きて、

気づいたら、あと寿命が1年、とかってならぬよう、

最後の最後に、望み通りの生き方ができた!と

思えるような生き方をしたいものです。





岩国で、宇野千代さんのことを知りました。

お名前は存じておりましたが、女実業家の先駆者。

そして、恋多き女性でして、まるで大暴れの人生を

体現したかのような女性ですね。





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ご著書の中で「私、死ぬ気がしない」

とおっしゃるだけあって、98歳までのご長寿。





私もそんな生き方をしたいものです。

大暴れの人生、美しき人生。それをモットーに

この調子で笑いながら人生を謳歌していきます。





いつも、皆様のコメント励みを得ています。

FBもインスタもツイッターもコメントありがとうございます。

私は、今日明日だけ、ゆっくりできます。

26日から再び、7月出版の新刊の原稿直しに大忙しです。

しかし、皆様に情報を届けられる幸せ、

ありがたく思っています。ではまた明日。




美人になる方法@ワタナベ薫 at 02:00 | コメント(0) | ワタナベの思うこと
2016年04月19日の美人になる方法
テーマ:ワタナベの思うこと

底力

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画像元





うちはテレビがないので、

実際の状況がよくわからず、熊本の実情がわかりませんが、

寄付するにしても募金するにしても、正しい情報がないと

動けませんで、今は慎重にリサーチしています。





実際に動いたり、お金集めてくださっている方には、

本当にありがたいです。





震災の時は、そういえばお風呂に1ヶ月も入れなかったな・・・

ということを思い出しました。ガスが通らなかったので、

しょうがなかったですが、そういう時って、

平気になるものですね。なぜなら





命があればそれでいい





・・・になるから。そして、

お金があっても食べ物買えぬ・・・






これを経験しますと、お金が意味をなさなくなり、

食べものがないと、次は食べないとやばいわけでして、

お風呂なんてどうでもよくなるのです。





あ、ちなみにこういうことがあるから、

お金がただの紙切れである理由がわかりますよね?

お金があっても食べ物が買えないだけでなく、

経済状態がいきなり変われば、お金は本当にただの紙切れになります。

円の価値がなくなることだってあるのです。

経済をちょこっと勉強するとそんなことが常識なものですから、

お金がたくさんあっても、お金をたくさん稼いでいても、

貨幣の価値が変われば、意味がなし。

そこがわからないとお金については語れません。





話を戻しますが、そんな状態なりますと、

お風呂に入れないくらいどってことないわけです。

きっと震災で今避難所暮らしをしていらっしゃる方も、

その場にいない私たちが想像すると、「大変だろうな・・・」と

当然、胸が痛む気持ちもありますが、きっと、彼らもまた

淡々と向き合って、その状況に耐えながらも、

そして色々と人生について学びながらも生きているはずです。

震災時にあまりにも多くを学んだものでして、

生かされた者の人生の重要な学びだったのだと思いました。






私が実際に避難所を回って、

被災されている方と接した時に、

そこにいる彼女たちが明るくて、笑顔を絶やさず、

そして、一致団結、泣いている人がいたら、

寄り添いながらも、強く励ましあっていました。





そこは沿岸部のひどい避難所でしたから、

ご家族が津波で流された方も多々いらっしゃる地域で、

そんなに明るく前向きなのは、ひとえに園長さんのお人柄のおかげと、

リーダー的存在の女性がポジティブだったゆえのこと、

であると容易に想像できました。





そして、幾つかの避難所でわかったことは、

家族が亡くなった、ということでメソメソしている人よりも、

津波に半分体を持っていかれながらも、

自分がどうやって生還したのか?を

力強く語っていた人々の強さに本当に励まされ、

自分の考えを改めたのでした。





自分の考えを改めた、というのがどういうことかというと、

阪神大震災の時、テレビで流れる悲惨な状況を見たときに、

関西人魂の強さとポジティブさ、それにえらく感銘を受けて、

こう思ったのです。





「東北人だったらこうはきっといかないだろうな。

他人に助けても言えず、みんなメソメソ泣いて、

大変なことになってしまう・・・」と想像しました。





ところがどっこい!!!





東北人の底力と強さを震災で見させていただきました。

そして、熊本魂、

九州魂の底力も

すごいものだと知っています。







ある意味そこは日本の中では一つの島国。

一致団結力、きっと今回のことも前向きに

乗り越えると信じています。東北人もそうでしたから。





その地域になく知り合いも親戚もいない人が

あまりにも「大丈夫!大丈夫!」と

直接、その人々に声をかけたら、

気持ちを逆なでることになるでしょう。

「大丈夫!」はとりあえず心の中で祈るだけにして、

あとは、彼らの底力を信じていきたいものです。





だからこそ、実際にその苦難を共にしていて、

それでも前向きに頑張れるリーダー的資質の方が

その場所にいる、というのは、本当にありがたいことですね。





私がお手伝いに行ったその避難所は

仕切りを作りませんでした。

当時、仕切りがあって、隣の状況がわからず、

寝ていると思いきや、そのまま亡くなっていった

ご年配者がいたそうです。そういうことも起こらぬようにと、

プライバシーよりも命!という選択をして、

みんなで挨拶を心がけたそうです。





寝てばかりいないこと

悲しみに飲み込まれないこと

朝になったら、起きて布団をたたむこと






これを徹底したそうです。

きっとそこの避難所は恵まれていたのかもしれませんが、

それでも、そうした明るいリーダー的な人の存在は

本当にありがたいですね。





昨日、あるお店に私の読者さんがいて、

ちょっとだけ熊本の震災について話しました。

その時に、東日本大震災の話にもなり、

自分たちが震災にあって見て、一つ確実にわかったことがあったね、

って話になりました。こうです。





震災に自分たちが遭ってみて初めてわかったことは、

今まで、世の中の災害に関して

いかに他人事としてみていたか、と言うこと。

多分、多くの東北人もそう思ったと思います。

熊本の地震の大変さにかき消されてはいますが、

17日にエクアドルでも大きな地震があり、

約250名が亡くなっています。

きっと気にもとめていない人々も多いことでしょう。





だからこそ、物資の支援やら医師や看護師さんたち、

自衛隊の人々が原発の危険があるにもかかわらず、

身を差し出して東北にきてくださったこと、

ありがたくてありがたくて、本当に感謝の気持ちが

湧き上がったのでした。





そして、重要なこととして、

3・11の時の震災に関心を持たない他県の人々がいたとしても、

その気持ちもすごくわかる、ということだったのです。

阪神大震災の時も、中越地震の時も、他の県で起きた出来事、

と思っていた人も多いのです。





ですから、東北の多くの方は多分、東北のことは気にしないで

お花見もして楽しんで!東北のお酒も買って飲んで!

経済回して!明るく過ごして!・・・と思ったわけです。





私たち東北人が苦しんでいる時に、

あんたらはええなー!とかは思っていなかったはず。

(ま、全員が全員ではなかったにしても)

もちろん、2万人というすごい人数が突然

あちらの世界に召されてしまって、悲しみに飲み込まれ、

そして、あの時から時間が止まってしまった人もいます。





それでも、自分だけがそういう経験ではなくて、

周りもそうやって愛する人を突然連れて行かれ、

それでも前を向いて生きている、という元気な人々の姿に

励まされて、上を向いて頑張った人も

たくさんいらっしゃったと思います。





私は、家族も健在でしたから、こんな悠長なことを

書けているんだ、と思われる方もいらっしゃると思いますが、

それでも、多分、私も、四角家になったら四角くなり、

丸い家になったら丸くなり、お風呂がなかったら、

お風呂がないなりに、淡々と生きていくと思います。

そして、命が取られたら、それまで、と思うしかないわけです。





震災によって学びを得たことはたくさんあって、

そして、その教訓は、次に活かすことと、

東北人は多分、熊本の地震に関しては、再び、

あの3・11を思い出し、なにかしたい、という

気持ちに駆られている人も多いと思います。





くまモン公式ホームページ

くまモンもお疲れかとは思いますが、

熊本県民に明るさと笑いと希望を与えるために、

少しの間頑張って欲しいなと思います。

そして後に、ゆっくり休んでくださいませ。

ではまた明日。





美人になる方法@ワタナベ薫 at 00:42 | コメント(3) | ワタナベの思うこと
2016年04月16日の美人になる方法
テーマ:ワタナベの思うこと

こんな時に思うこと・・・

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また、デッカな地震が起きましたね・・・

昨日は地震のことで地元の方々はとても

不安な夜をお過ごしだったことと思います。

東日本大震災の時のことを思い出します.





昨日のお財布の記事は、前もって書いてて何も考えずアップし、

熊本の地震の安否を気遣うこともしなかったことに

不快に思われた方もいらっしゃるようで、

「こんな時にこういう記事は不謹慎です」などの

コメントもツイッターに書き込まれていました。(お財布の記事ね)

もちろん、地元でもなんでもない方からでしょうが。





多くの人がSNSで安否を気遣う言葉や、

「大丈夫ですか?」「心配です」の書き込みを拝見しました。

こんなことを書くと嫌われるかもしれませんが、

心配したってしなくても同じであり、

心配の波動は心配の現実を招くからです。

他の人への心配な気持ち 余計なお世話 いやむしろ危険





一つ思うに、安否を気遣う優しいと、

回復を祈る気持ちは本当に大切でして、

「きっと大丈夫!」というその想念が

回復につながるのだと思います。


それは、東北大震災の時もずっとお伝えしてきたメッセージです。

皆様にお願いがあります(2011・3・15)

音声 被災地にいない人々へのメッセージ





そして、これは昨日、私も失敗してしまったことがあり、

大反省だったのですが、地震直後とっさに、

そこに住むクライアントを心配するあまり、

何も考えず「大丈夫?」ってメッセージを

衝動で送ってしまいました。やっちまって、

返事もらって安心した後に、

「アチャーーーーー」と思い出しました。





これはハッキリ言ってエゴだわよね。

家族や親族、親友など以外やってはいけないことです。

東日本大震災でわかったことなのに、忘れてしまっていたバカ。

いちいち、返事するのも大変でしょうし、

実際のこうしたメッセージがたくさん行ってしまい、

本当に受け取らなければならないメッセージを

逃してしまうからです。かさこさんのブログでもありましたが、

まさにおっしゃる通りなのです。※個人メールは害悪である 





それと、情報をあちこち流すのも注意が必要。

もし、その情報が間違っていたら?

情報のシェアも慎重に・・・です。

だから私は、いつもこういう状況では特に

何もしない、ということを決め込んでいます。





そして、心配しています。大丈夫?の「不安」の想念の

メッセージは心配の優しい気持ちからだと理解できますし、

本当におっしゃる通りなのですが・・・

次に書くことキツイよ・・・心の準備して




「同情するなら金をくれ」じゃなくて

(家なき子のセリフね)

「心配するなら金送れ」なのです。






結局、一番のできることはお金が助かるわけです。

(その送り先も、被災地に人に聞かないように)

回答している余裕がないのと、実際、知らないと思うから。

ネットがあるわけですから、調べて調べて

周りの情報を鵜呑みにしないで、いいと思った

機関に送ったらいいです。





5年前に、実際に避難所にボランティアに個人的に行った時、

責任者に、「個人的にできる範囲だけど必要なものがあれば、

言って欲しい」と聞いた時に言われたことはこうでした。

「公平に全員の手に渡るものじゃないと、もらっても混乱を招く」と。

つまり、誰かはもらって、誰かはもらえなかった、という

状況が非常に混乱を生む、ということ。





もちろん、譲り合いの精神を多くの方が持っていましたが、

実は、実際の話、奪い合う人もいました。

渡される物資に文句を言っている人も。





あと何かしたいという衝動のままに、

被災地にすぐにボランティアに個人の判断で

いくことなどもお勧めしません。

正しい情報を待ってからじゃないと足手まとい。





実際に、本当に苛酷な辛い状況にあるお方々は、

こうしたブログですら読めない状態です。





なので、ブログでは安否を気遣う優しい言葉の一つもかけずに

今まで通りに普通のブログをいつも通りに更新して

不快な思いさせてしまったね・・・なのですが、

人それぞれできることは違う、ということ。

SNSでヤンヤヤンヤと「心配です」「心配です」と

心配の念を送りまくるよりは(動機は良かったとしても)

できることをやっていた方がいいよね。





こういう時に、人間の心理に働くものは、

こんなに周りで熊本の地震について書いている、

私も書かなきゃ!と安否を気遣う投稿もするようですが、

あなた自身ができることでいいのと、

そして、それを書いていない人が、冷たい人、

というわけでもなくて、その人がどういう思いで

いるかなんて、わからんよ?ってことです。





私は冷たい人間なのですが、こう思うのです。

「私が心配してもどうにもならない。

大丈夫にしかならない」ということ。





心配は心配を生む。





こう書くと「亡くなった方や怪我をされている方もいるのに!」と

正義感を振りかざす部外者もいるのも存じておりますが、

当事者でもない部外者が吠えてもね・・・

ごちゃごちゃ言うよりも、そんなこといいから

じゃあ、お金送りなさいな、ということ。

震災の時も書きましたが、いつの時代も地球の裏側でも

日本のどこかでも、今、この瞬間も多くの人々が亡くなっていて、

そして、泣いている人はいつもいるのです。




・・・と東日本大震災の時にも思ったのでした。

心配の投稿したり、ブログに不安を書いたりはもういいから、

たくさん東北のためにお金を寄付してくれって。

・・・正直思いました。





その震災の時に、私は本当に、お金が必要・・・と

強く思いました。復興にはお金がかかるんですわ。やっぱり。

そして、被災地にいる人々ももらって嬉しいのは、

ユーズドの服とかよりも、お金です。

送られた誰も着ないような古着の処分で

大変だったところもあるのです。

当面はそうしたものも必要ではありますが、

ある程度復興した時に現実的に必要なのは、お金です。




金金言ってごめんなさいね。

寄付しようよ、の記事ではないんですよ。

私は、冷たいので、これまでもいちいち災害のたびに、

「祈っています」ともこれまであまり書いたことがありません。

実は、被災地にいる人たちは、敏感になっているので、

何も語らないほうがいい場合もあるのです。




震災の時に、ある人は東北に寄付をしたことが書いてありました。

「10円寄付した。俺ってすごい!」って。

10円て・・・飴玉一個も買えんわな〜・・・

お金がない方ではなかったので、それを読んで

悲しくなるほど、当時は心が疲弊していました。

書かなくてもいいよ、10円て・・・






とうことで、

今日の記事はここまでです。

では、また明日。




美人になる方法@ワタナベ薫 at 01:32 | コメント(4) | ワタナベの思うこと
2016年04月10日の美人になる方法
テーマ:ワタナベの思うこと

情報の発信の仕方と受け取り方

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つまんないタイトルだなー。もー。

しかしながら、ここ最近の記事の中では

トップ3に入るくらい、私にとっては重要な記事です。





最近は、一般の人が情報発信をする時代ですし

気軽に多くの人々の価値観や信念、興味関心が

知ることができるようになった時代です。

そこで、発信側も読み手も注意が必要なわけです。





先日久しぶりに、故・小林正観さんの本を3冊続けて読みまして、

心と頭がリセットされた感覚になりました。

美しい言葉と、他人を思いやる気持ち、

そして仏教の真髄と、人間のあるべき姿に

戻してくれるかのようなそんな爽快感を得ました。

(の割には、愛のある毒舌も好きですが)





やっぱり、日本古来から伝わる清さと言葉の美しさ、

そして、人を思いやる気持ちや親切、愛は、

基本だな、と改めて思わされた感覚になりました。





正観さんは、言葉というものを

とても大切にしていらっしゃいました。

特に「ありがとう」という言葉。

ありがとうは波動がとてもいいのです。





そして、ご自身は様々なお立場でありましたが、

作家として、つまりメッセンジャーとして意識されていたと

私は著書を読ませていただき、そう感じました。

つまり、発信する言葉をよく選んでいらっしゃったと





例えば、ご著書の中で書いてあったこととして、

年4回ほど宇宙からのメッセージが届くとありました。

すぐに忘れるので書き留めはしますが、しかし、

正観さんは、そのメッセージを鵜呑みにしなかったそうです

なぜなら鵜呑みが危険だから。






こんな言い方をしますと大変おこがましいのですが、

私もちょっとだけ似たようなことがあります。

正観さんのように明確ではないので、宇宙からのメッセージとは

言いませんが、上からのメッセージのような感じ。

ただ、半年くらいそれが本当にそちらからのメッセージなのかを

放置してみたり、あとは信頼のおけるサイキッカーの友たちに聞いたり、

・・・鵜呑みにしませんし、すぐに発信しません。





あ、私の話はいいので正観さんのこと書きますね。

で、彼のように、他次元のメッセージを受け取る人は、

世の中にやっぱりたくさんいましてね、しかしながら、

その情報源が、正しいところではなくて、

魔界のなんちゃらかんちゃら(漢字が難してくて読めない 笑)

・・・からのものもあるそうで、それをむやみに信じて、

自滅するケースが少なくないそうです。





そういうのって、すぐには自滅しないから案外わからないのです。

である程度まで広まってしまったりします。そのあとズドン!です。

しかし、ズドンになるまでは、多くの人々が影響を受けてしまいます。





そして、正観さんほどの人になれば、

影響力がハンパないと思いますので、

ご自身が発する内容にはいつも気を使っていらっしゃったと

私は感じました。それは私程度の人間でも気を使っているからです。

この程度でも、発信した内容は影響を及ぼす、ということ。





あ、私のことはいいや・・・

で、正観さんは、その宇宙からのメッセージが降りてきた時は、

友人、知人100名に話すそうです。そしてたった一人でも、

「それは間違いだ」という人がいたら、

その情報はお蔵入りだったそうです。

(宇宙を貫く幸せの法則 致知出版社)参考





私は聞いても5人ですけどね。笑

つまり、正観さんは、宇宙からのメッセージを

そのまま感情に任せて発信することはなかった、ということです。





情報発信者がこれだけ気を使うのはなぜでしょうか?

それは、人々に多大な影響があるからです。

そして、もし、自分の発信した内容が、読者が

理解せず、誤解を受けるような形になったり、

はたまた高尚で理解しがたくて、勝手な

解釈で曲解されたりした時には、責任が生じることを

彼は知っていたように思います。





そこまで著者は普通考えないですけどね。

責任は読み手にありますから。本当は。

しかし、彼が言葉をとてもとても大切に扱っている

その姿勢に、数年ぶり正観さんの本を読んだ時に、

自分のあるべき姿の模範者だな、と改めて思ったのです。





過去に存在したマスターたちは、いつも平易な言葉を使って

弟子たちが理解できるようにしました。

例えば、キリストもそうです。彼のもとには、

いつも子供達が話を聞きに群がっていたのです。

キリストの弟子たちは、そんな子供達を止めようとしましたが、

キリストは、逆に弟子たちを叱りました。





そして、キリストは、学問のない貧しい人たちにも

理解できるような言葉と、日常の例え話をたくさんして

神の教えを説いたのです。キリスト教の根幹は愛なので、

聖書で使われる愛のを扱った章などは大好きで、

美しいその言葉を読むと、心が洗われるような気持ちにもなります。





で、私の話に戻りますと、ここ半年間、

このメッセージは発信していいのだろうか?

と迷っていたことが、最近大丈夫だとわかったので、

少しずつ大切なことを発信していこうと思います。






・・・が、しかし、情報の受け取り手は、洞察力が必要です。

これは私のブログも含めて、すべてに当てはまることですが、

情報はまる鵜呑みしないことです。





自分の直感と、自分の潜在意識は何と言っているのか問うてみる。

そして知識を咀嚼する。咀嚼したら、小さくでいいので、

生活に当てはめてみる、ということです。

情報の受け取り方には注意が必要な時代に突入してきたようです。





ということで、本やブログ、SNSの情報の受け取り方でした〜。

発信者にとっても、参考になる点が何かあれば幸いです。

ほんじゃらまた明日ー。







美人になる方法@ワタナベ薫 at 00:35 | コメント(0) | ワタナベの思うこと
2016年04月08日の美人になる方法
テーマ:ワタナベの思うこと

子は親に心配をかけたくなくて、 親は子を心配したい

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親に何でもかんでも言えない、と思うことが時々あります。

その動機は、親に「心配をかけたくない」というもの。

心配というか「心痛かけたくない」と思う。

自分の中の、親を思いやる気持ちが働いているから

そう思うのかもしれません。

それは、私の年代の子供だけではないのです。

小さな子供達でも親に心配かけたくない、

という優しい気持ちが働いています。

だから学校でいじめられていることなどは言わない子が多いのです。





私の場合、自分のことに関する心痛や自分の苦しみは、

自分で何とかすることができるものですが、

ただ親は精神世界も自己啓発も、そんなことを知らないので、

私の問題で、恐れや不安、心配をダイレクトに受けてしまい、

メンタルや体にそのまま悪影響があったりするので、

やっぱり心配はかけたくないな・・・と思うものです。

(ま、本気で心配しているわけでもなくて、大丈夫なんですけどね)






若さがあれば、体力と気力で乗り越えられるものでも、

70代、80代の親を持つ子供は、そんなことを考えたり

しているのではないでしょうか?





一方、親はいくつになっても親でして、

子供の幸せを願っています。

子供が生まれて腕に抱いた時、親はきっと

この子の人生が幸せであるように、と祈ったことでしょう。

そして、やっぱり今でも、それを願っていて、

子供が幸せだと安心するものです・・・

反面、年老いても親は親で、

いつも心配もしていたいのでしょうね。





そんな親心を思うと、胸が熱くなる思いがします。





しかし、私は父が嫌いで、今でも電話でちょっと話しただけで

イライラします。自分の内面と向き合っても向き合っても、

なぜ父にそういう思いがあるのか、もうすっかり

傷は癒えているはずなのに、根強い幼少時代の何かが

あるのでしょうね。感謝しかないはずなのに、

今でも、父はやっぱり苦手です。





それでも、過去に3回、父らしいことを言ったり、

私のことを心配してくれたこともあります。

記憶にあるのは、たったの3回です。

この49年間で3回です。それでもありがたいことなのです。





今の12歳も年下の夫と結婚する時に、父は彼にこう言いました。

「いいか?こんなに年が離れて結婚して、

惨めになるのは、年上の女のほうだぞ。わかってるか?

もし、娘が泣くようなことをしたら、どうなるかわかってるか?」

その言葉のあと、ここには書けないような怖い言葉を

父は彼に言っていました。

彼の震え上がる顔を思い出すと、今でも笑えます。





この時に、初めて父も、親なんだと思いました。

あとは、車をぶつけられた時に、そのぶつけた相手が

仙台ではちょっと有名な社長で、嘘をついて

私がぶつけたと言い張り、逃げたと母に話した後、

父が電話をくれて「話つけてくるから相手の会社教えろ」と

言いました。問題が大きくなるような気がしたので、

言いませんでしたが(笑)





どんな親でも子供を心配しているんだな、と

嫌いな父ではあったものの、そんな温かい気持ちに

少しだけなったことを思い出したのでした。





父は、来月79歳になります。

日本の男性の平均寿命は80.5歳だそうで、

もう少しだ・・・(笑)・・・(何が?)

時々、父が亡くなる時のことを想像します。

涙が出るだろうか?何を思うだろうか?

私は、後悔はしないだろうか?





・・・そんなことを思うのでした。

そして、年老いた両親に、私のことで

なんらかのダメージはできるだけ与えたくない、

やっぱり心配をかけてしまうから・・・とも

思ったりしてね。





親には心配をかけたくない、と思うのが子供心。

そして、子供の心配をいつでもしていたいと思うのが

親心なのでしょうね。それがいつまでも

自分が親である、という意識でもあり、

威厳でもあり、そして生き甲斐なのかもしれません。





「たはむれに 母を背負いて そのあまり

 軽きに泣きて 三歩あゆまず

 〜石川啄木「一握の砂」〜




歌の意味は、引用させていただきますと、

「母が年をとって小さくなった現実、

ひどく苦労をかけてきた事実から、目を背けてきたのだけれど、

うっかりふざけて母をおぶったところ、

そのあまりの軽さが私の背中に伝わった。

ここに至るまでにどんなに苦労をかけたことか、

いかに大きな恩愛を受けたかと思うと、

一歩、二歩は歩けたけれど涙がこぼれてもう動けない。」

引用元





年々小さくなっていく親を見ると心が痛みます。

そして、おぎゃあと生まれてあちらの世界から親もやってきて

そして、小さくなって、またあちらの世界に帰っていく。

残された時間はわずかで、感謝の気持ちで

接していきたいと思うのでした。





私の年代ですと、もうご両親がいない方もいますね。

それでも、感謝はいつでもどこでも、天を仰ぎ、

感謝はできることでしょう。





嫌いな親であっても、

それができると、生き方が変わりますよ。

誰が喜ぶかはわかりませんが(親は喜びますね)

神様がそのことを喜ぶのは間違いないですし、

そういう人を神様は応援しますので。そして、

感謝できた自分自身がとても気持ちよく過ごせますから。





なんだか独り言のような記事に

最後までおつきあいいただきまして、

ありがとうございました。

ではまた明日。






美人になる方法@ワタナベ薫 at 00:23 | コメント(2) | ワタナベの思うこと
2016年03月31日の美人になる方法
テーマ:ワタナベの思うこと

無題

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雨風霜、雪にも負けず、

真冬にも耐えてた実家の柿。





50年前は、渡邊家にとっては必要とされていた柿。

渋抜きをして食べたり、干し柿にしたり・・・





今でも思い出す子供の頃。

渋抜きした柿がおやつに出た時は、

なぜかちょっぴりがっかりした。





でも、今はそれを無性に食べたい。

だけど、もう渋抜きする人はいなくて、

今は誰からも食べてももらえない。





今は食べられることも、見られることもない、

神様の鑑賞用の柿という運命でもあり、

そして、鳥たちの食料という運命をたどる。





それでも毎年、葉をつけ、実をつけ、

元気なオレンジ色となり、

真っ青な空とのコントラストを堂々と見せてくれる。





・・・やっぱり人は誰も見ていないけど、

庭の隅っこでただただそこにある。

時々実家でこの柿の木を見ると、

懐かしい気持ちと切ない気持ちが一気に噴出す。





柿たちは、時期が来れば、

実が落ちて、土の栄養となり、また今年の秋に、

昔のように、人に必要とされていなくても、

また「どうだ!」と言わんばかりに、

鈴なりの実をつける。




そんな堂々と何十年も生きているその柿たちを、

私だけでも、実家に帰るたびに眺め、

褒めてあげたいと思うのでした。




そして、もしかしたら、

柿のような運命を辿るかもしれない

自分の人生であったとしても、

天の神様に恥ずかしくない生き方をしたいと

なんとなく頭の中をよぎったりして。





そんなことを、柿を見て想像する自分は、

随分とまたポエマーだな、とも思ったりした(笑)





さあ、今日は3月最後の日。

4月の仕切り直しを前日の今日、するのはどうでしょ?

マイケル手帳使ってあげてね。ではまた明日。






美人になる方法@ワタナベ薫 at 01:04 | コメント(0) | ワタナベの思うこと
2016年03月28日の美人になる方法
テーマ:ワタナベの思うこと

「生きること」目の前にあることを淡々と・・・

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今日はちょっと独り言のような記事です。

昨日は、いろいろ、いろいろと考えているうちに、

なんとなく切ない気持ちになりました。







Facebookの機能の中に、

1年前の今日、とか2年前の今日、3年前の・・・

のように、自分だけに見えるように、

過去の投稿が毎日その日にアップされます。




毎日ブログもFacebookもアップしているので、

「ああ、3年前はこんな状態だったな」とか

「え?この時、まだ2年前?もっと前かと思った」

など、何かしら自分の過去を思い出しています。

ブログやFBは過去の記録が見れるので

ホント、日記代わりみたいなもんですね。





そを見て切なくなったり、悲しくなったり、

温かい気持ちになったり、「頑張ったよね、この時は」

みたいに、それらの感情を味わっているその時の自分を

思いっきり褒めてあげたくなったりと。





昨日の3年前はちょうども、ブログでもシリーズ化していた

今日のお散歩の記事でした。ちょっぴり切なく、懐かしい記事。

モモのひたむきに生きる姿は、私にたくさんのことを

教えてくれました。




ただただ目の前にあることを必死でやることや、

我が道を行くことや、いい意味でのわがままさ、

感情を素直に見せることなどなど、

言葉は発せずとも、その生きる姿から本当に

たくさんのことを私に教えてくれたのがモモでした。




モモの天国に行く数日前は、足腰が立たなくなり、

何度も何度も転んでいました。転んでもまた立ち上がり、

立ち上がっても転び、でもやっぱり起き上がる。

やめないのです。立ち上がることを。そして歩くことを。





人はそれを見たときに、

「かわいそう」と思うかもしれません。

そして、そのペットの姿を見て、辛い、と思うかもしれません。

私も、実はつらかったのですが、しかし、モモはつらくないのです。

そこに感情を入れず、ただただ黙々と、淡々と取り組んでいます。




動物はただただ必死にやっているだけで、

気にしちゃあいません。「なんで立てないだ!」とか

「悔しい・・・辛い・・・」なんて思わずに、

いつもと同じ顔で、何度も何度も立ち上がろうとします。




かわいそう、と思うのは人間のただの投影です。

モモの姿を見て学んだことは、私も辛い時は

ただただ目の前にあることを、淡々とやり続けよう、

と思ったのです。モモは、目の前にある課題だけを見て

取り組むわけです。人間も「今」「この瞬間」だけに

集中した時に、悩みのほとんどが消え去ります。




過去を思い出して胸を痛めたり、

まだ見ぬ未来を見て恐れと不安を抱いたり・・・

だから、そうした恐怖心に苛まれたときこそ、

動物たちのように、「今」「この瞬間」だけを

見たらいいのです。





昨日は、そんなモモの天国に行くちょっと前のことを思い出し、

自分がこれからの人生を歩んでいく上で、しんどいな、

辛いな、と思ったときに、モモのようであろう、

と改めて思ったのでした。




3年前は、想像もできないような今を迎えています。

3年前、未来がまさかこんな風になるなんて、

1ミリも思っていませんでした。




特に今年は、私にとって人生の中での転換点とも言える、

また違った人生のスタートになることでしょう。

今まで求めていたことに、さほど魅力がなくなったり、

贅沢な生活や、ビジネスにあまり興味がなくなったり、

そして、もっともっと大切なことが何かが見えてきたり。




私の生活事態は本当、質素です。

ま、家からあまり出ないので、贅沢のしようが

あまりないのですが、食生活なんて、

老人食をさらに質素にした感じ。





かといってブランド物を持たないとか

贅沢を全くしないとかではありません。

バイクも車も好きですから、そういうところには

お金を使っているかもしれませんし、

女として廃れないために時々、

セレブごっこして街に繰り出しもします。

しかし、それすら、重要なことではありません。





震災時は、お金を持っていても何もなりませんでした。

お金があっても、買えるものがなかった、買えなかったとか、

そして、もし、経済状態が変われば、いくらお金があっても、

いつそれらが紙切れ同然になるかなんてわからないわけです。





何にもなくなった時に、

残るものって何?






それは、一言では言い表せないのですが、

やはり、人の心であり、愛であり、思いやりであり、

・・・ってきれいごとに聞こえるかもしれませんが、

それら多くの人々が求めるものを全て手にしたところで、

物質や金銭は墓場にも持っていけないし、

そうしたものは残るものではないでしょう。





聖書の言葉の中に、「死ぬ日は生まれる日に勝る」

という言葉があります。一般的には、生まれたことこそが

喜びであり、祝われるべきもの、という見方がありますが、

本質はやっぱり違うような気がします。





きっと魂レベルで見た時には、

やっぱり死ぬ時は「おめでとう」なんだろうな、と。

今生でのお役目お疲れ様でした。

頑張りましたね。最後まで。という意味もあっての、

死ぬ日が生まれる日に勝っているのかな、と。





そして、死ぬ時には、これまでの歩みという記録が

自分に付されるわけです。生まれた時は真っ白だったけど、

生きた年数の長さには関係なく、その人の記した

台本を生き抜いた時、おめでとうなのでしょう。





死ぬ時に「自分がいた証」なんてものを

残したいわけではないけれど、

しかし、地位や名誉やお金を残すよりも、

自分の生き方で誰かが何かをたった一つでも拾ってくれたり、

それを見て楽になってくれたり、もしくは、

元気になってもらえたら、もう、それが本望かな、と。





モモや動物たちのように、

私も同じく生きる姿を見てもらうことでしか

それができないわけですが、だからこそ、

「大暴れの人生」「生き様」を見てもらうことが

今の私にできることなのでしょう。

死ぬまでブログは続けますので。





もちろん、豊かさを求めるのは無意味、とか

お金なんていらない、と言っているわけではありません。

実は、そのお金のある状態を経験すると、

より一層、お金はある意味とても大事でお金は回すもの、

そして、お金よりも大切なものって何か?

が、今わかっている以上に、もっともっと

理解することができるのかもしれません。




なんて、ことをつらつらと思った

日曜日の陽だまりの午後。

なんと今日から3月最後の週だそうで、

2016年ももう、4分の1も終わりそうなわけでして、

また数日かけて仕切り直していこうと思います。

とりとめのない記事に最後までお付き合いいただきました。

ではまた明日。



写真/フォトグラファー木村千枝氏




美人になる方法@ワタナベ薫 at 00:39 | コメント(2) | ワタナベの思うこと
2016年03月22日の美人になる方法
テーマ:ワタナベの思うこと

ワタナベ薫 ニュートラリッています


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STUDIO KUMUさんにて撮影




この写真見て、これまでの中で、過去最大級の、

最も自分らしくない顔に写っている写真。

こんなに力が抜けた顔するのね…とちょっと驚きの写真。

ニュートラリッてる顔かもしれません(笑)

で、今日はワタナベのニュートラル思考について。





ニュートラルとは、「中立、中間」のことです。

今日は私の思うニュートラル思考ってどのよなうなことか

・・・について語ってみたいと思います。





一応、私自身の中には、

信念とか価値観とかいうものがありはしますが、

他人に関しての価値感信念はもちろん多種多様で、

また、何かの答えは、五万とある、とも思っています。

そこに良し悪しの判断はないのが私なりのニュートラル。

もちろん、好き嫌いなどの好みはあったとしても、です。





他人様が「私は、Aだと思います」と言えば、

私は「そうか、Aですね!了解!」と言いますし、

他人様が「Bです!絶対にBです!」といえば、

「そうだね、Bだね。Bやってみる?」です。





そして、人生捨ててるわけではないのですが、

正直、どうでもいいのです。





「どうでもいい」と言うと、

非常に冷たく聞こえるかもしれませんが、

興味がない、と言う意味ではなくて、

人がどの決定をしていても、どんな行動をしていても、

「どう決定してもいい」という「どうでもいい」。

全部、マル○だと思っているのです。






マル◯って、正しい、ってことじゃなくて、

正しいも間違いもないので、全部「経験」したいんだよね?

ってことで、そのことが良い結果でも、悪い結果でも、

すべて良い「経験」になるからマル○だと思っている、ということ。

そこにジャッジはないのと、それと、自分がその立場でない限り、

真実はわからないし、わかったところで、結局他人事でしょ?

と思っています。





今の生活、という視点で物事を判断しません。

人生という80年、90年というタイムラインで見る、

もしくは、そのタイムラインが魂レベルで言えば、

何本も無数にあって、その中の経験したかったことが

その今生のタイムライン上にある、というイメージです。





「ああ、みんな経験しているんだな」

という高い視点で物事を見ると、裏切りも、許しも、

間違いも、正しいもなくて、一言でまとめると、

それらは「ただの経験」なだけ。





こんなことを書くと、ワタナベは感情的になったりしないのか?

とか思われると思うのですが、感情的になって、

「あのハゲがぁーーーーー!」とか暴言を一人で吐きまくる

こともありますが、(世界中のハゲの皆様ごめんなさい。

ワタナベは相手がハゲでもなくても、

ハゲ呼ばわりすることがあります 笑)

それも私にとってはマル◯なのです。

感情的になる=バツではない、ということ。

全部マル◯。





だから、私には、他人に関して「許す」という概念がありません。

それは許さない、という意味ではないです。

「他の人の過ちを許しましょう」と言われていますが、

たとえ、私が害を被ったとしても、私は「許す」立場にはないです

ただ、そこに私の感情があるのみ。





怒りや悲しみや苦しみがあるだけで、

それを許すとか許さないとかありません。

私をこんなに苦しい目に合わせやがってー!とも思いません。

「苦しい」という感情を選択したのは自分だからです。





だから、人をずっと恨み続けることも、

許す許さないの関係にはありません。

動物のようにただそこに感情があるだけなのです。

ああ、ニュートラルって超ラク。





だから、批判コメントをもらうと、

ムカつくことはたまにありますが(最近はもう面白い)、

書いてもいいのです。私を批判してもいいのです。

ただ、私もそういう人を批判したければしてもいいのです。

自由なのです。





正直、なんでもありです。

感情もなんでもありです。

イライラする気持ちも、

ザワザワする気持ちも、

憎たらしいと思う気持ちも、

妬む気持ちも、嫉妬も。





それが経験であり、

そのことを経験するために

人は生きていると思っているから。






何かの物事に、いいとか悪いとかで線引きしてしまいますと、

苦しくなるのは自分です。何でもあり、何でもいい。





何でもいい、という表現は投げやりに聞こえますが、

実は、この「何でもいい」もしくは「どうでもいい」が

私にとってはしっくりくる言葉かもしれません。

しかし、決して投げやりではないのです。





私の言う「どうでもいい」は

「あなたはどうあってもいい」

 の意味なのです。






どうなってもいい、じゃないですよ?

どう在ってもいい、ということです。





過去にセッションで多くの方から同じことを言われました。

ある不倫をしているクライアントたちは、

そのことを打ち明ける時、ものすごくドキドキしていたようです。

「これを言うことで薫さんに嫌われたくない」と言うのです。

これまで何人いたかな〜?たくさんいらっしゃいました。





ちょっとそれを言われた時に、

胸がキュンとして、「なんて可愛い!!!」と思いました。

・・・て、そういう話ではなかったです。

つまり、クライアントや友人がどんな決定をしていようが、

どんな状況にあろうが、私には「どうあってもいい」、

そう「あなたがどうあっても、私はあなたを愛している」

・・・ということ。





関係性が薄いと「愛している」までは思いませんが、

他人様の決定で周りはとやかく言う必要もないですし、

ましてやそれをジャッジしたり、ふれ回ったりもしません。





正義感はある意味大切なものかもしれませんが、

正しい、と正しくない、に線引きしてしまいますと、

どっちかが正しくて、どっちがか間違っている、

つまり、そこで隔たりができてしまい、

それが戦いになるわけですから。





かといって、それを自らの中に持っていて、

ダメということでもありません。

どうぞご自由に持っていて、自分はそれに従って

生きていけばいいだけです。

ただし、人に強要しないことです





・・・が、ニュートラリッてしまうと、

「強要したければしてもいいよね。どうでもいいよ」と

なってしまう。ただ自分が嫌なら「私には言わないで」

と言うだけです。





さあ、みなさん、ニュートラリッた生き方、楽ですよ。

周りはどうでもいいのです。

ですから、ゆるく心穏やかに、嫌な人も少ないですし、

気になりゃあしません。全ては自由。

バカな行動(バカに見える行動)をしている人を見ても、

「ああ、それをあなたは経験したいのね」と

言えることでしょう。人生の学びをその人から

奪うことをしなくてもいいのです。





他人をコントロールすることはできません。

そんな暇があったら、本の1ページでも読みましょう。

台所の整理を10分でもいいのでしましょう。

他人のことをどうこう言っている時間はもったいない。

時間は有限であり、人生はとっても短いのだから。





こういう記事内容って、難しいのか、理解し難いのか?

それともウンウン、わかるわかる!なのか、

私にはわかりませんが、今日の記事は、

ただ私が思っていることをつらつら書いただけのことです。

「ふーん、そんな風に思っているのね」

くらいに読んでいただけたらと思います。

ワタナベ薫を知っていただく、そんな記事かもしれません。

ではまた明日。





美人になる方法@ワタナベ薫 at 00:42 | コメント(1) | ワタナベの思うこと
2016年03月12日の美人になる方法
テーマ:ワタナベの思うこと

愛はにじみ出てしまうもの

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前にもブログに書いたっけかな〜?ある女性のこと。

今日は、記憶から薄れる前に、16、7年前の友人について

書きたいと思います。31歳当時のダメダメな私にとっては、

彼女は憧れでもあり、私が目指す人格でもありました。

究極なシンプル思考の持ち主、性格が竹を割ったかのよう。





その女性とは、当時、引っ越したばかりの土地で、

仕事がらみで知り合いになった19歳の子でした。

私が31歳、彼女が19歳。12歳も離れていたのに、

私たちは、もう意気投合して毎週ランチをする仲になりました。





その子のシンプル思考に接するたびに、

いつも自分のウダウダさ加減が目立ち、

竹を割ったかのような彼女の性格が羨ましくもあり、

そして、私の目指すべきところでもありました。

今思えば、19歳にしてあの域に達していたとは、

すごいな、と思えるのです。





あの域、というのは、あるがまま、ありのまま、

そして、人から嫌われることを恐れず、

言いたいこともスパーン!と言ってのける人。

中には、そういう彼女を「きつい人」と言って、

嫌う人もいましたが、裏表がないので、

私にとっては、本当に付き合いやすい人でした。





私たちは、週に一度のランチの時に、毒舌オンパレード。

愚痴を笑いに変えて、お互い吐き出して、

それでも、「ま、しゃーない、今週も頑張るべ」みたいに

前向きに悪口言っていました(笑)





いつもランチの行き先を決めるのは、彼女です。

なぜなら、私は自分でそういう状況で決めるって

超苦手でして、o型の傾向かとも思うのですが、

割と気ぃ使い屋。




自分の好みよりも、相手を喜ばせたい、とか

楽しんでほしい、なんていう面倒臭いところがあって、

常に、彼女に任せていました。彼女は、自分の好みも

はっきりしているB型。本当に付き合いやすい友でした。





しかし、ある時彼女は私にこう言ったのです。

「今日はワタナベさんがランチの行き場所決めて。

いつも私が食べたい物優先しているでしょ?だから、決めて」





こういうの私はすごい困るわけです。

私は好みがあまりなくて、何を食べてもいいので。

結構、ハッキリしている人からしたら、

私みたな人は、イラっとくるのかもしれません。

で、無難なところで「うーん、じゃあ、パスタにしよっか!」と

言ったのです。ま、パスタだったら彼女も好きだし、

と彼女のことも考えて言ったのです。





そうしたら「パスタは昨日の夜食べたから別なのがいい」と

言われたのです。「今日は決めて」って言われたのに、

まさかの「別なのがいい」という回答にべっくらして、

「えーと、えーと・・・汗汗・・・」みたいな感じで、

「あ、あ、あ、じゃあ、ラーメンは?」と聞いたら、

「今日は暑いから、ラーメンは気分じゃないな」って言われて、

「そっか・・・うーん、じゃあ・・・」って考えているうちに、

「なんでもあるからファミレス行こう!」って結局

彼女が決めました(笑)





私は「何でもいいっつたじゃん!!」

心の中で叫びました・・・30歳の大人が

10代後半の子に意見が言えないのでした。





しかし、我以外皆師也(われいがいはみなしなり)

にあるように、年齢が下でも、たとえ、小学生とかでも

はたまた、3歳児でも、誰でも教えをいただける存在になる、

というのを彼女を見て思っていました。





相手を批判の目で見てしまうと、

そこから何も拾うものもなくて、

ただ嫌な存在にしかなりませんが、

その人が自分の師ならば、何を教えようとしているのだろう?

と自問一つするだけで、全く違った見方ができるものです。





今、私が彼女のように、人に嫌われることを恐れず、

嫌なものは嫌、と言えるようになれたのは、

やはり、彼女の影響は大きかったと思うのです。





で、すごい前置きが長かったですが、

ここから本題です。





なぜか急にそんな彼女をふと思い出したのでした。

当時、彼女には本当にお世話になったし、

彼女のご家族にも、モモ共々、可愛がっていだだき、

すごくお世話になったのです。





私が風邪を引いたといえば、彼女は立ち寄ってくれて、

「お母さんが、ご飯持って行けって」と差し入れをくれたり、

(一回とかじゃなくて、風邪が完治する1週間も差し入れが続いた)

雪が積もった翌日、私は風邪で寝込んでいたのですが、

外の駐車場で、ザックザクと音が聞こえていたから、

ドアの覗き穴から覗いて外を見たら、

彼女は、私の車の周りの雪かきをやってくれていたり、

または、車に乗せてくれたお礼だと言って、

年下なのにご飯をおごってくれたりと、

なんでこんなに愛が溢れているんだろう?と、

何度も思っていました。





・・・って、今、思い出しましたが、

それを彼女に直接聞いたことがありました。

「なんで私にこんなによくしてくれるの?」と。





彼女はキョトン顔で、

「へ?何でって、

 ワタナベさんのことが好きだから」





子供のような単純さ。

そこに損得勘定もなければ、計算もない。

子供のような素直な気持ち、

「好きだから」

その感情と同調した行動をとるだけ。





毒舌だろうが、性格がキツかろうが、

こうした根底にあるものが「愛」ですと、

それがまた強力な魅力になるものです。





見えるもの、きれいなもの、というのは、

外側ではいくらでも飾れますし、

演技もできるかもしれません。

しかし、内側からにじみでる優しさや、

陰なる愛ある行動は、その人の本質を表します。

隠そうとしても、そう、にじみ出てしまうのです。





内側にあるものは、

どこからともなく、

にじみ出てしまうもの。


毛穴からにじみでるのかな?(笑)





内側を満たすものは、意地悪や邪悪さ、

私利私欲、奪う気持ち、憎しみ、などでないように、

そういう感情が出た時(人間ですから時にあるのは当然)、

ニュートラルに捉えて、その感情の裏にある、

満たされていない気持ちに気づくと、自分にも優しくなれて、

そして、そこに気づけば、他人にも優しくなっていくのです。





自分のその満たされない気持ちに気付かないと、

いつまでも、人を傷つけたくなったり、

非難したくなったり、するものです。

まずは自分を愛してその愛が毛穴から・・・

あ、いや、ハートからにじみ出てたらいいですね。

では、また明日。






美人になる方法@ワタナベ薫 at 02:17 | コメント(0) | ワタナベの思うこと
2016年02月18日の美人になる方法
テーマ:ワタナベの思うこと

食事の前の感謝の祈り

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今日の記事はかなり短めです。

食事の前の感謝の祈りについて。

それをすると、食事がいつもよりも美味しく感じますし、

感謝して食べますと、暴飲暴食がなくなります。

ひいては、痩せます。それはおまけのおまけ、

くらいのことですけどね。





私は、別にクリスチャンでも仏教徒でもないんですが、

毎食、感謝の祈りをしてからご飯を頂いています。

誰に感謝しているかと言いますと、あちこちに(笑)

ご先祖様だったり、護って下さっている人たちだったり、

お世話になっている人も、あれやこれや宇宙やら天使やら神様やら色々と。





祈りには、時間をかけることもあれば、

外食などの時は、手を合わせて、頭の中でバババババーーッ!と

祈る対象を駆け巡らせて、数秒で祈ることもありますが、

この習慣は、私にとっては、今の生活が当たり前のものじゃない、

ということを常に思い起こさせてくれるのです。





時間を掛ける時は、感情も込めて祈るゆえ、

祈っている最中に、ありがたすぎて

ご飯が食べられるってことだけで、涙がジワワ・・・

ってなることもありますし、なんだか米粒、一粒一粒が集まって、

お茶碗一杯になっていることが、これまた当たり前じゃなくて、

大切に噛みしめたい、と思うのです。





そうすると、そのご飯を食べられていることが

当然ではなくなってきて、こうやって定期的に

ご飯を食べられているって、誰のお陰だろうか?と

ちょくちょく考えるようにもなるのです。





私の場合は、色んな人が頭の中を駆け巡ります。

心が病んでいたら、ご飯も食べられないですが、

そういう時に救ってくれている友人もまた感謝の対象です。





食べられるって、やっぱりすごいことなわけです。

私は、食べることにあまり執着がないため、

普段の生活の食事は、かなり質素です。

夜は納豆にみそ汁にサラダだけとか、

昼もお茶漬けだけどか・・・そんな食生活であっても、

この感謝の祈りをしているからかと思うのですが、

すごい贅沢な気持ちになることがよくあります。





今、世界では9人に1人が飢餓に苦しんでいると言われています。

ま、毎日そういう人を思い出そうよ、と言う話ではないのですが、

食べ物をいただける、というのはやっぱりすごいこと。





1日1食しか食べられない人々が世界中には、

多いことを考えますと、暴飲暴食、または、

お腹がすいていないのに、惰性で食べるとか、

そういうことも避けたくなります。

あ、かといって、食べてしまうことに罪悪感なんて

抱く必要はないですからね。





食事は、感謝して、心を傾けて食べますと、

それだけで脳は満足しますし、満足すると太りにくくなります。

感謝の祈りで、心が満たされて食べますので、

何を食べても美味しく感じるし、何を食べても

豊かな気持ちになります。




今日は、ちょっとだけ、食べる前に手を合わせて

「いただきます」の言葉に、感謝の気持ちを乗っけてみませんか?

時間をかけなくても、感謝の祈りをしてからいただく習慣は

心も身体も満たしてくれるので。




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【業務連絡・スイソニアの説明会について】

以前、水素マニア西村環社長にインタビュー、
そして水素について記事にいたしました。
こちら


で、上記のブログ記事をアップしてからと言うもの、
サロン経営者様や、ガン治療をされている方、美容関係の方、
アンチエイジングにご興味のおありの方などから
お問い合わせを頂戴しておりました。


水素吸入器の一台の値段が200万円とのことで、
かなりお高い物ですが、サロンさんなどでは
サイドメニューにされている会社様も増えてきております。


それで、西村社長自ら東京と名古屋で説明会を
開いてくださるとのことで説明会のご案内をいたしました。


ちょっとラグジュアリーな空間で、
西村社長自らの説明会&体験会になります。
参加費無料で、まだほんの少しお席があります。


●東京2月20日(土)15時〜 残席3席
●東京2月21日(日)11時〜 残席2席
●東京2月21日(日)15時〜 満席

●名古屋2月27日(土)15時〜 残席4名
●名古屋2月28日(日)15時〜 残席1名
 

ご興味のおありの方は当社のお問い合わせ欄から、
「スイソニア説明会参加希望」とお書きの上、
何日に参加希望か、何名での参加なのかをお書き下さいませ。
お問い合わせはこちら


水素整水器の詳細については、下記のサイトに入り、
水素整水器の水色のバナーからお入り下さいませ。
水素整水器の詳細






美人になる方法@ワタナベ薫 at 02:06 | コメント(1) | ワタナベの思うこと
2016年02月16日の美人になる方法
テーマ:ワタナベの思うこと

大切にしたい少年の心 

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愛車2台と仙台新港にて





皆さんも生きる上で大切にしていることや、

目指している生き方のようなものがあると思います。

それを価値観や信念、もしかしたらアイデンティティと

言うかもしれません。





私も愛や感謝の気持ちや笑い、

と言った3つの大切にしている軸がありまして、

それらは一生忘れたくないばかりか、それさえあれば、

すべては何とかなる!とさえ思っております。





そして、さらにもう1つ信念とも違う、

大切にしていることがあります。

ちょっとそんな自分のことを書きたいと思いました。

そう、大切にしている心があります。それは・・・





少年の心





一応、女性ですから「少女の心」と

言いたいところなのですが、少女とはどうも違う。

私の心は、少年のようなのです。





いたずらも好きですし、小学生の男の子が、

ウンコやチンコの話題ってものすごく好きでしょ?(笑)

私も、ウンコチンコでどうしても笑ってしまうし、

大人な女性のくせに、そういう言葉ですら言ってしまいたくなる。





さすがにピンポンダッシュはしませんが、

そんな子供たちを見て叱るどころか、

一緒にしてしまいそうな勢いです。





品格がない、品性がない、って言われそうですが、

一応大人な対応っていうものもできますゆえに、

言っていい人とダメな人は、野生の勘で見分けて使っています。





そして、少女のような大人がいらっしゃいますが、

それもまた素敵。おちゃめ、というかチャーミングと言うか、

何歳になっても、少女の心は持てます。

かわいいおばあちゃんっていますよね。それです。

そういう女性も大好きです。





しかし、私の場合はたぶん、おばあちゃんになっても

やっぱり少年の心を持ち合わせていると思うのです。

少年の心は、おちゃめではなくて「やんちゃ」なのです。

少女の心も、少年の心も、大人の計算高さや左脳で考えて

行動するそういう部分がない、やっぱりピュアなところが

好きなんだと思います。




もちろん、エレガントも大人なワンランク上のスタイルも大好き。

それでいながら、好奇心旺盛で、冒険心があり、

そして好きなことはご飯も食べずに熱中してしまう。

男の子たちとくだらない話をしては笑えるような、

そんな資質のまま年を重ねていきたいと思うのです。





その少年の心が、50歳前にして大型バイクの免許を取らせたり、

それを乗り回せるように、腕力つけたり、

さらには、いつでも誰かと闘えるよう、

ちょっと受け身や闘い方を学んでいたり、

いろんなことにチャレンジさせようとしているのでしょう。





誰とも闘う場面なんてないのに・・・(笑)それでも、

道を歩いている時に、かわいい女性が変な男に絡まれていたら、

「悪い男をやっつける!」という妄想を頭の中でしていたり。

0.001%の確率でも起きないでであろう場面を脳内妄想して、

悪い男をこてんぱんにやっつけているのです。

ハッキリ言ってバカでしょ?その妄想(笑)





以前、武道を学んでいた時に、師匠に、

「悪い男に絡まれたら、どの技を使って

やっつけたらいいですか?」と尋ねましたら、

師匠は「速攻、逃げてください」と私を諭しました(笑)

でも、こういう血の気の多い自分もまた、少年っぽくて

そして、そんなアホなことを妄想している自分もまた

いいな、と思えたりね。





子供のような純粋さと素直さ、

これは私が大切にしたいと思っていることです。

別にブランド物で身を固めなくても、

ファッションメイクが完璧でなくても、

子供のような純粋さと言う、美しきものは

何者にも増して、輝くような気がします。





人は役割を演じています。

結婚すれば、妻の役割になり、妻を演じます。

子供が生まれれば、親になり、親を演じます。

そうすると、子供の心を忘れてしまうのです。





親になると、子供の気持ちや子供の目線という

大切なものを忘れてしまいがちです。

親は子供から学び、そして、大人は子供のような純粋さを

忘れないように、謙虚さが大切なのかもしれません。





少年の心

少女の心

そして純粋さ







年を重ねるたびに、そんな風に

生きて行きたいと思う今日この頃でした。

私は、少年の心をもちながらも、これからも

大暴れの人生を歩んでいきます。








美人になる方法@ワタナベ薫 at 01:25 | コメント(3) | ワタナベの思うこと
2016年02月03日の美人になる方法
テーマ:ワタナベの思うこと

あなたは唯一無二の存在である

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人生の主役は自分

あなたは唯一無二の存在である






=================



またまたインスタグラムの画像からの記事です。

このお花は、クリスマス・イブの日にいただいたバラ。

かなり長持ちいたしました。冬だと言うのに、新芽まで出ました。

空間の氣がいいと勝手に思い込んでいます。





このバラを見た時に、自分の視点で人生を見たら、

こういうことなのだ、と思った次第です。

自分視点で言えば、自分は自分の人生の主役であり、

あなたはあなたの人生の主役である、ということなのです。





もちろん、自分よりも優れた人もしますし、

美しい人もわんさかいます。

しかしそれでもあなたは、自分の人生という舞台においては

確実に主役、唯一無二の存在なのです。





それがわかると、地球の中心は自分であり、

自分を中心に世界はいかようにでも創られて行き、

あなたはあなたの人生を生きることができます。





人生って、解釈と意味付けでなりたっていて、

どこにも確実に絶対とか100%真実とかはなくて

すべて、あなたの解釈で世の中は出来ています。





ならば、いい解釈で、学びと幸多き人生を

創り上げて行きたいもの。

あなたの解釈で成り立っているこの世界、

どう意味付けして、どう感じて、どう生きたいですか?




=================

いよいよ明後日名古屋講演会です。

え?明後日????もう明後日?

やべっ・・・むっちゃ緊張してきました。汗

席がわからない人はスタッフに声掛けください。

それでは、また明日。












美人になる方法@ワタナベ薫 at 01:26 | コメント(2) | ワタナベの思うこと
2016年01月27日の美人になる方法
テーマ:ワタナベの思うこと

我が道を生きる 本当の心地よさとは?

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赤い土を見ると、腸がねじれる感覚や、

腸が騒ぐ感じがするのはなぜカピラ?(・∀・)





引き寄せの法則ががうまくいく1つのセオリーとして、

心地よい感情でいる、というものがあります。

で、今日の記事は本当の心地よさとは?という点について、

主観タップリに書きたいと思います。





自分の感情や思考で、自ら発する周波数が変わります。

周波数とは波動のことで、粒だったり波だったりと

2つの特性があったり、高いと低いもあります。

高いとより細かな波動、高周波となり、目には見えなかったり、

音で言えば、高周波ほど聞こえなかったりします。

で、感謝や愛の波動は高く、それに類する事柄を引寄せるのです。





で、ちょっと話は変わりますが、最近の自己啓発の傾向としては、

前から知られている、斎藤一人さんとか、小林正観さんのような、

人様の気持ちを考えるとか、愛や親切、良い事を他人にする、

などのようなことではなくて、





他人の幸せなども考えるなどとは真逆に、まずは自分。

自分の感情に従って、相手のことよりも

自分のしたいことすればいい、のようなものもあります。





部屋を片付けたくなかったら、片付けなくてもいい、

不倫だってOK!相手に暴言吐きたきゃ吐く!

サボりたきゃサボる。…ま、道徳無視でも、

やりたいことをやっていいんだ、的なこともよくお見かけします。

どっちがよくて、どっちが悪いはないのです。





実は、どちらも同じこと言っているんですけどね

後者のやりたい放題は、今まで我慢ばかりしてきた人にとっては、

衝撃かもしれないですが、そういうことを1回はやって、

自己破壊的なことがないと、

なかなか他人様への愛とか親切とか、そこのステージには行かないもの。





自己破壊的な事とは、自己の思い込みをぶち壊すこと。

つまり、世の中の固定観念や常識にがんじがらめになって、

自分のしたいことも感情も分からない状態の人が多いのです。

それを、破壊しないと次に進めない、ということです。





生まれた時から神レベルで、最初から慈愛に満ち、

素晴らしい人格者だったら、この世に生まれてないわけで、

まずは、自己中心的に生きてみて、自分を愛することが

徹底的にわかってから、周りの人々を気遣うことや

愛や親切に説得力が加わるわけです。





自分を本当の意味で愛せない人は、

他人をも本当の意味で愛せないから。





自らを押し殺し、我慢ばかりしている魂は、

いくら他人に対する愛だの親切だのやっても、苦しいだけ。

やってる行為は素晴らしくても、波動は荒く、低く重いのです。





本当の心地よい状態を知るには、

まずは自分がい何をして求めているのか?

どう感じているのか?

の自分の心の奥底の叫びを

キャッチすること。






あいつ、大っ嫌い!憎たらしい!ムカつく!腹立つわ〜、

でもいいんですよ。まずは自分の感情を知ることが大切だから。

そんなことを思ってはダメ、という自己否定をしていると、

なかなかそこから抜け出せない。





あ、私ってああいう人嫌いなんだ。

私、彼女の事、ねたんでるかも。

私、こういうことされるの嫌いなんだわね、

と自分の事が相手を通して分かるわけです。

他人は鏡、というのは、相手を通して自分の本当の気持ちが

わかるから鏡なのです。





ただ、その悪感情に長く浸るのが、あまりよろしくない、ってこと。

それに類する事柄を引寄せることになるから。しかし!





で、本当の心地よさって、

自分のやりたいことをやっていれば心地いいか?

って言ったらそうじゃなくて、それをやりつつも、

自分と一番身近に関わっている人も幸せだと

本当の心地よさが得られるわけです





もし、自分のやりたいこと、心地いいことをやっていても、

家族がそれで泣いている、苦しんでいる、怒ってる、

そして、その感情をぶつけられたら、自分も苦しくなってたら、

それは本当の意味で心地いい訳ではないのです。





だからよく、やりたいことをやるにしても、

エコロジーチェックが必要になってくるわけです。

エコロジーチェックとは、自分がそれをやることで、

周囲や関わっている人がどうなるか?ということを

チェックするということです。





例えば、子供がいる夫婦。

夫が急にサラリーマンやめて、カメラの勉強して

戦地の報道カメラマンになりたい!と言ったとします。





まだ小さな子供がいて、旦那の給料なしでは食べていけない…

妻は困るわ、怒るわ、頭にくるわ、

で、ケンカが絶えなくなるとする。

決して、お互いが心地いい感情ではない・・・





家族のことを考えたら、

そういう決定はできないことでしょう。しかし、奥さんが、

「あなたが夢を実現する姿を見るのが私の幸せなの!」

とか言っちゃったりしているなら、やってもいいわけです。





じゃあ、エコロジーチェックして、

奥さん反対ならやめるべき?と考えた時、そうでもない。

そこでずっと自分を押し殺して、やりたいこともやらずに

一生生きていくのが嫌だったら、納得するまで説得するもよし、

家族と別れてやりたいことをするもよし。





なぜなら自分の人生だから。





もちろん、まいた物は刈り取る事でしょう。

妻への慰謝料支払いや、嫌われたり、文句を言われたり、

大暴れされたりと、人々から白い目で見られたりと、

いろんなことがあるかもしれません。それでもやりたいか?

ってことなのです。自分の夢とそういうリスクを天秤に

乗っけた時に、人は比重が重いほうを選ぶ事でしょう。

それが心地よい方を選んでいる、ということなのです。





人を苦しめてまで、夢を追いたくない、と思う人もいます。

その人にとってはその決定のほうが心地いいのです。





本当の心地よさは、まずは自分の心地よさ、

その後身近な人の心地よさなわけで、

押し殺して生活しても、家族に不快なエネルギーを

撒き散らしていることになるのだから。





だから、他人の決定にあれこれ言う必要はないのです。

そして、他人の内情は、実は真実は私達にまでは

絶対伝わってこないと言うこと。そして、事実が伝わっても、

私達の脳内では、しっかり自分のフィルターがありますから、

自分好みの好きなことだけ拾ってストーリー仕立てにしているのでね。




ということで、今日の記事はここまでです。

また明日。






美人になる方法@ワタナベ薫 at 00:59 | コメント(1) | ワタナベの思うこと
2016年01月22日の美人になる方法
テーマ:ワタナベの思うこと

優しさに触れて

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今日は何度もモモを思い出す日でした。

モモが「最近、アタシのこと、忘れてんじゃないの?」

と言う意味で、思い出させてくれたのでしょうか・・・

もしかして、モモが近くに来ていたかもしれませんね。





昨日、クライアントがモモちゃんにどうぞ、と

ブーケを下さいました。ピンクのブーケで、

モモを思い出させる色でした。





FBに、ルンバに追い詰められてジャンプした

マイケル動画を載せました。それを携帯で見ていたら、

モモの以前の動画が出てきて、それを見てまた涙しました。

まだ黒いお目目でクリックリで、「アタシを見て見て!」

とうざいくらいにアピールしている動画。





見ていて、ぷぷぷ・・・と笑った後に、

涙がツツツーと頬をつたいました。





私はモモがいなくなっても、当たり前ですが、

普通の生活をしています。毎日思い出して

メソメソ泣いたりもしていませんし、

心が沈んで何もする気がない、とかもありません。

それでも、時々写真を見ては、思い出して涙する事はあります。





うちのマンションは犬を飼っている人が割といます。

散歩などで会うので、飼い主の名前は知らないのに、

犬の名前をみんな覚えています。





いつも、ワンコを二匹散歩されている

同じマンションに住む女性が居ましてね、

何度もお見かけしているのですが、

挨拶する程度のことでした。





私はPARCOで彼女とすれ違った時、挨拶をしました。

実際、犬を連れていないと誰が誰だか思い出せない感も

あるのですが、やっぱり彼女も、私がわからなかったのですが、

思い出して「あ!モモちゃんの!」と言って、

近づいてくれました。





そこで立ち話。

「モモちゃん、元気ですか?」と聞かれ、

先月天国に旅立った事を話しましたら、

彼女は開口一番「あなたの心は大丈夫ですか?」と

聞かれました。





ペットを亡くす痛みが分かっている人の言葉です。

その「大丈夫ですか?」の言葉を私に言う時は、

彼女の瞳には涙が浮かんでいました。





これまで、何度もワンコを見送ってきた方だな、

というのがすぐ分かりました。続けて彼女は、

「モモちゃん、本当に本当にいい子だったわよね。

うちのしつこい犬たちにふがふがされても、怒りもしないで

されっぱなしで、本当に優しい子だったわよね・・・」と

また目に涙をいっぱい溜めて言うのです。





彼女は、「ホント、ダメ。もう私も泣いてしまう。

でも、あなたはもっともっと悲しいわよね。

モモちゃんの事を話したくなったら、

いつでも!!!私の所に来て!

私の薄い胸貸すから、泣いていいからね!」

薄い胸・・・(笑)





お互い名前も知らない、ペット同士で繋がっているご縁。

それを「いつでも来て!」と言ってくださる優しさ。

泣けてきて、泣けてきて、その場で泣きましたが、

モモがいない悲しさではなくて、モモを通して、

周りの人々の優しさに触れる事ができたのが

とてもうれしかったわけです。

読者さんたちからいただいた沢山のコメントも然りです。





こんな風に情が厚く、人のために、いつでも来て!

だなんて言えるなんて、すごいな・・・と思ったのでした。

人の無心の親切に触れると、心が温まるだけじゃなくて、

神様から、愛されているよ、のメッセージと、

そして、気付きとしては、自らも与える人でいたい

と改めて思うのでした。





最近、人に与えてばかりの人たちに私は囲まれています。

その人々は、本当に私心がない・・・

安心して近づけ、一緒にいると居心地がいい。





そういう人たちにピュアな気持ちや

優しさに触れて感動した場合は、

今度は私も自分に出来る優しさや親切を

誰かに示していきたいとも思うのです。





心の柔らかい部分に、優しく触れられて、

共鳴した時にこそ、次は自分がそれを他の人に

やって行こうと思わされた出来事でした。

雪を溶かすほどの優しさと愛情で心を満たし、

他の人にも分ち与えられますように。

まった明日。





美人になる方法@ワタナベ薫 at 00:32 | コメント(4) | ワタナベの思うこと
2016年01月20日の美人になる方法
テーマ:ワタナベの思うこと

「まいたものは刈り取る」の法則

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今日の記事はちょっとだけビジネスの話ね。

昨日の夜、福岡から戻りました。

福岡滞在での三日間、なんとも学びが多い日となりました。





私が公私共に親しくさせていただいている3人と

福岡ではお会いいたしましたが、様々なビジネスの話をしました。

そこで感じたこと、思ったことがありました。





世の中には、人を利用して登っていこうとする人がいます。

自分でコツコツすることを避け、コツコツやって

成功してきた人の知名度を使って簡単に、

成功を手に入れようとする人々。

時間がかかることが嫌で、結果を出すのにスピードにこだわり、

早く結果が出ないと、すぐに矛先を変えるか、やめてしまう。





一方、そうではなくて、自らコツコツと積み上げ、

自己投資をして、ノウハウやスキルを対価を支払って

自分のものにするのに、勉強し成功を手に入れ、

さらには自分と関わる人々を成功させたい、

豊かになって欲しいと考え、自らを差し出す人。





後者は、ほとんどの場合、もう既に自分で

かなり稼げていたりするので、

私利私欲なしに他人に手を差し伸べることができています。





今回関わった3人は、もちろん後者であり、

そして私も本当に応援したいと思う人々、

または、なんの利害関係もなしに、

完全にプライベートで付き合うことのできる心許す友なのです。

だから本当に心から愛し、尊敬する人々なのです。





損得勘定で、誰と付き合うか?

誰と付き合わないかを決める人は、

同じく損得勘定するような人々が集まってきます。





ビジネスは、誰と一緒にいると得とか売れるとか、

そんなことを考える前に、本当にその人が好きかどうか

または、何も利益がなかったとしてもその人といると

心地いいかということを判断材料にしたほうが、

後々面倒な問題に巻き込まれなくてすみます。





かんばらないで、楽しんだほうがうまくいきます。

しかし、もっとその上に言っている人たちは、

先日の記事にも書きました通り、努力もコツコツもやっています。





「好意の返報性」という心理があるのですが、

例えば、誰かを紹介したら、自分も紹介されるかもしれない、

という期待が出てきますし、もし、自分が紹介さされたら、

嬉しくてお礼に紹介したくなります。

何かをもらったら、何かを

お返ししなきゃならないと考えるのです。





これを1つのマーケティング戦略として、

返報されることばかり考え行動する人も居ます。

分かる人には分かると思うのですが、

そうい人の行動は計算に見えることがあります。

その動機は結局、自分に利益をもたらされることを考えるのです。





これは、いいも悪いもありませんが、

そこに純粋な動機があるのか?ということ。





この話はビジネスだけではありませんね。

人間関係も同じです。与える人は与えられる人であり、

人を利用しようとする人は利用され、

人から奪おうとする人は奪われるのです。






さらに、その人の動機にあるものを、

最終的には買い取ることになってしまうのです。

時間差でやってきます。





価値を提供して、その対価であるお金をもらい、

お金をもらっておきながら、その分の価値を提供しなければ、

お金はいずれ入ってこなくなります。

子供でもできる簡単な計算です。





しかし人間は時々、迷いが出たり、

血迷ったり、誰かの影響を受けたりして、

純粋な心じゃなくなるときもあるかもしれません。

ありのままとか言うのもいいけど、時々自分の心を疑い、

常に心を見張り、強欲、怠惰、傲慢、高慢に

なっていないかを調べる必要があるわけです。





自信があることはいいことです。

ただ、いつも自信満々の状態では進歩も止まってしまいます。

私は、自分を否定するようなことはしないにしても、

またまだ自信がない部分があり、死ぬまで

自信満々にはなれないことも、知っています。





本題からそれてきた…笑





まいたものを刈り取る

あなたが刈り取りたいと思うものが明確であれば

どうぞ、その刈り取りたいと思うものを自らまいていきましょう。

それはビジネスも、人間関係も同じことなのです。

急激に寒くなりましたので、暖かくしてお過ごし下さいね。

まった明日〜♪





美人になる方法@ワタナベ薫 at 01:36 | コメント(1) | ワタナベの思うこと
2016年01月18日の美人になる方法
テーマ:ワタナベの思うこと

毎日がはじめての瞬間であり最後の瞬間

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同じ時間は二度となく

その時その時が

はじめての瞬間であり

最後の瞬間でもある






================



今日の記事はInstagramの画像から記事です。

私の Instagram のIDは、kaoru4374

フォローできます。コメントもすべて拝見しています。

いつも励みあるコメントありがとうございます。





時間を本当に本当に本当に意識するようになったのは、

震災以降。誰もがいつこの世を去るかわからない、と

思ってからは、普通のことに本気で意識を向けるようになりました。

忙しい生活をしていますと、時を意識しないで生きてしまいます。





しかし、例えば、職場を退職する時に、私がよく思ったのは、

出勤最後の日に「ああ、もうここに来ることも二度とないのか」

とか、「○○さんには、もしかしたら死ぬまで会えないかもしれない。

いつかこの笑顔を忘れてしまうのかな?」

とその人の顔を目に焼き付けたり・・・。





いつもの通勤道路も、もう、ここも通ることがないのか・・・

と思うと、景色が違って見えましたし、いつも目に入ってこない

看板や、道路の凹みや家々が違って見えました。





苦しくてつらかったけど、本当に楽しかった自動車学校での

大型バイクの時も、卒検の日、合格のうれしさもあっても、

いつも教習で私を笑わせてくれたおっちゃん先生と

もう、二度と会えないのか・・・と思ったら、涙すらにじみました。





もしかしたら、本当に最後の瞬間かもしれない、

と思った途端、その時間はスペシャルな時間になります。

しかし、別れることがなかったとしても、

同じ時間というのがない、と言う意味ではやっぱり最後の瞬間。

大切に過ごしたいと思うのです。





モモとの別れが近づいていた頃、

今から1年前くらいから、フェイスブックではモモとマイケルの

写真を撮ってアップすると、似たようなことばかり書いていました。

この二匹が一緒にいるところを見ることができるのは、

ずっと続くわけではない・・・と目に焼き付ける感じでした。





別れた夫との、最後に一緒にした食卓を覚えていません。

いつ手を握ったのかも覚えていません。

大好きだった彼と最後のデート、思い出せません。

職場で、尊敬していた先輩の最後の言葉、忘れました。

ブログをはじめてから、初めてもらったうれしかったコメントも

何が書いてあったか忘れてしまいました・・・





過去の記憶はどんどん忘れていきます。

もちろん、忘れる生き物だから生きて行けるのですが、

それでも、日々の当たり前のことも当たり前ではない、

という感謝の気持ちで過ごすと、本当に丁寧に生きることができます。





毎日を感動することはないかもしれませんが、

毎日を感謝することはできます。

失って初めて分かる大切さを、失ってから分かるよりも、

失わないように、そして、それに大切に思いを集中するだけで、

日常が変わっていくことでしょう。





毎日毎日意識することは出来なくても、

時々、「あ、こんな当たり前に毎日やっていることも

当たり前のことじゃないんだな・・・」と思るのはおすすめ。

景色が変わります。新鮮になりますから。






美人になる方法@ワタナベ薫 at 02:39 | コメント(1) | ワタナベの思うこと
2016年01月15日の美人になる方法
テーマ:ワタナベの思うこと

幸せを呼ぶ 一日一善

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私が一番お気に入りでもありおすすめの音声プログラム、

Great Humanity(グレート・ヒューマニティ)

第一回のプログラムで、一日一善について扱いました。





昔懐かしのCMで日本船舶振興会、

一日一善というのがありました。

戸締まり用心、火の用心!を歌い、

一日一回よいことをニコニコにっこり日曜日。

・・・何だか懐かしいCMですね。





歌詞の最後の言葉は、

親を大切にしよう!だったり、

町をきれいにしよう!だったり、

自然を守ろう!とか、

ものを大切にしよう!などなど。





忘れかけていた何かを思い出させるような

温かい気持ちと、そして背筋が伸びるような

人としての基本に戻る感覚になります。





今は起業とかお金のセミナーなどがとても流行っていますが、

心を育てる教育ってあまりないな、と感じます。

子供が道徳を学ぶよりも、大人が学んだ方がいいような気もします。

もちろん、私もです。大切なことは忘れがちなので。





稼ぐこと、贅沢をすること、人より抜きん出ること、

目立つこと、裕福になること、・・・悪くはないにしても、

何だか、それだけをガツガツやっていますと、

薄っぺらい人生を急いで駆け足で生きているような気がします。





時折、人の本質や、人としての基本の小さなことを

思い出すのは非常に大切なことのような気がします。







例えば、心を込めて、他人を大切にしてみること。

近くの人が困っていたら、手を差し伸べる。

優しい親切を示してみる。

一日一善、いや二善、三善してみる。





公共のトイレも掃除をしてみる。

使ったあとの人のことを考えて掃除をする。

後から入る人のことを考えないような使い方をしている人

ときどき見かけますが、あれは驚きますね。





また、知らない誰かのために、よいことをしてみる。

ゴミ箱にゴミが入っていなかったら、拾っていれるとか、

近所の人に笑顔で挨拶してみるとか、

スーパーのドアは、誰かのためにも手で押さえるとか、

特に、お年寄りやお子さん連れ、赤ちゃん連れ、

そういう人たちに目を向け、手を差し伸べるなど。





今は知らない人に声を掛けない時代になっていて

なんだかそれもまた寂しいような気がします。

だから、関西に行くと、ちょっとホッとするところはそこ。

おばちゃん、おっちゃんたちが声を掛けてくれる。

ああいうのが失われつつあるのはやっぱり寂しいこと。





声をかける勇気がなかったら、笑顔で接することや、

そして、いつも当たり前に受けているサービス、

コンビニであれ、スーパーであれ、バスの運転手であれ

声をかけれる人には笑顔で挨拶をしてみる。





挨拶効果って実はすごくてね、

職場での大嫌いな人にでも、名前付きで

笑顔であいさつするだけで、関係性が良くなることが多々あります。





「○○さん、おはようございます」

「お疲れ様でした、○○さん」

これを笑顔で言うだけで、あんなに嫌いだった相手と

心打ち解けて、いい関係になることもあります。





自分が気持ちよくなるので、一日本当にさわやかに過ごせます。

他の人のねぎらう気持ちや、与えられた仕事に文句を言わず、

一生懸命自分の分を果たすとかね。





お金をもらっていながら、文句をいい、

こんな仕事だの、つまらない仕事だの、社長の悪口だの、

やりたくないとか、不平不満、文句ブータレながら

仕事をするなんてあり得ないこと。

それをやっていると、どこかでツケが廻ってきます。





昨日は、ほんのほんの小さな親切を、

赤ちゃん連れの若いママにしたら、

そのママがすごい笑顔で「ありがとうございます!」

と言ったことがうれしくて、癒されて、そして、

その感謝の言葉をちゃんと表せる若いママが、

一瞬でとても愛おしく感じた出来事がありました。





その瞬間、ちょっとだけ空を見上げ、未来を背負って立つ

その赤ちゃんとママに、もっともっと幸せが舞い込んでくるよう

祈ってしまったほど、そういう笑顔は人を幸せにするな〜、

と思ったのでした。





一日一善と、笑顔で感謝を述べること、

改めて心がけたいと思いました。

ではまた明日。






美人になる方法@ワタナベ薫 at 01:39 | コメント(2) | ワタナベの思うこと
2016年01月12日の美人になる方法
テーマ:ワタナベの思うこと

一流のあの人たちの裏側

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一流にニャるにはね

時間とコツコツが必要ニャンだ。

でも、楽しんで一流にニャることは

できるけどね






SNSで見る、一流のあの人は、お金持ちで、

目立って、みんなに人気でちやほやされて、

全然がんばっているように見えず、むしろ、

がんばらないほうがいいし、ゆるいほうがいいし、

あるがままでいいし、やりたくないことなんてやらなくていいし、

と言っていて、すごい楽しそうに仕事しているし、

本当にラクして、得ているものが多いように見えるかもしれません。





だから、周りの人々は、こう思うのです。

「私も、あんな風に好きなことだけして、

お金持ちになりたいし、努力しないで欲しいものも手に入れたい、

起業したいけど、何かを継続するとか無理」





周りの人の結果を出している人たちが、

あまりにもラクして、楽しそうに

うまくいっているように見えるから、

そう思って、継続や努力が出来ない人々が多いように感じます。





好きなことだけするために、会社もやめて起業して、

好きなことを職業にするつもりで、みんながやっているように

自分のセミナーや、セッションに募集をかけてみたけど、

びっくりすることに、誰も申し込みもない。一人も・・・

なんで私には人が集まらないの?

と思ってしまい挫折。





周りの人がラクして仕事しているように見えるので、

現実にぶつかってびっくりして、恥ずかしい思いをして、

恥ずかしいどころか、仕事をやめちゃったもんだから、

生活できず、あわててまた仕事を探す人も実際に多いのです。

あ、それ私だ、と思ったあなた。たぶん、私は

あなたのことを知らないので、あなたのことではないです。

たっっ・・・・くさん、そういう人が今いるのです。

男性でもいます。





しかし、ハッキリ言えばですが、

私の廻りに居る一流と呼ばれる人々は、

全員が、努力家で、ビジネスとかも好きで、

結構、人よりも多くコツコツとずーっと継続していて、

苦しいことがあっても、そこをよい方に転換していて、

自分の弱さも強みに換えて、しかし、ながら無理はしないし、

他の人に助けてもらいながらも、結局好きなことを

自由に続けられている人たちです。





違いがあるとしたら、

努力はしても無理はしない。






かつ、そうした人々は好きなことをやっているから、

努力していると本人はよく分かっていない。

でも、周りから見たら、努力していますよ。





セミナーを毎月違うテーマで開いている人は、

定期的にインプットもしていますし、自己投資もしていますし、

集客をうまくやっている人は、マーケティングの勉強を

お金をかけてやった人たちが多いです。





天性のビジネスセンスも持ち合わせていますが、

それでも、知識を取り入れ続けていて、

そして、コツコツとセミナーの資料作りにも励んでいます。





周りの人々は、そのコツコツが見えません。

そうした一流の人々が楽々楽チンに、

その位置にたどり着いたように見えるので、

自分が何かを成し遂げるのに、

継続したり努力したりができなくなる。





本当はね、一流の人々は、苦しそうにはしていないけど、

影ではコツコツと、そう、本当にコツコツと何かを

努力してやっているのです。





行動することが多ければ、

その行動の結果を刈り取る量も多いに決まっているわけです。

そこにはその人の持って生まれた資質、

カリスマ性とか特異性とかがあるので、

または、コツコツと学んで得たスキルが花咲き、

結果を得ているのですが。





カリスマ性を身につけるとかは、

あと付けではちょっと難しいことがあります。

その辺は、天性のものだったりするから。

人の前に立ちたいと思っても、どうしてもその資質がない人もいます。





しかし、じゃあ、そういう人は何かの分野で

一流になれないのか?というとそうではなくて、

適材適所というのがあるので、その人の得意分野や

強みを発掘して、その人が輝ける場所を見つけて、

そこで、活躍すればいいのです。





得意なことで

好きなことがあれば最強です。






表に立ちたい、目立ちたい、と思っても、

もし、その才能がない場合は、もしかしたら、

裏方でのマネージメントや、人を輝かせるための

プロデューサー能力があったりするかもしれません。





今度の講演会ではそうした話もいたします。

行動力をあげ、結局コツコツをやり続けた者が

結果を手にしているのです。




ここ重要です。

好きなことだけやればいいよ〜、というのは

何もしなくていいよ〜、と言う意味ではなくて

好きなことをたくさんやればいいし

それを続けたらいいよ〜、の意味なのです





続けても続けても、結果が出なければ、

やり方が悪いのです。だからやり方を変えるのです。

どうやって換えたらいいかは、お金を支払って

出来ている人から習えばいいのです。



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モモがいなくなって約1ヶ月。

モモがいないことに慣れてきて、2人ともたくましく生きています!

天国で会える日まで生き抜くんだニャ。ペロッ

ではではではまた明日。




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美人になる方法@ワタナベ薫 at 01:47 | コメント(1) | ワタナベの思うこと