
我ながらお恥ずかしいタイトルではありますが、
いや、こんな私にも辛い時、というのが10数年に一回くらいの
割合でおきますね、特に30歳の時には、もう本当に
人生を終わってくれと思ったこともありました。
しかし、その時、「もしここさえ乗り越えられたら、
自分はこれ以上の辛いことはない、
これさえ乗り越えられたら、もう強く生きられる」
と1日1日、数えるように生き抜いていた時期がありました。
未だに、あの頃以上の試練というのはありません。
似たような試練はありましたが、あれ以上の苦しみは
やっぱりないのと、それと、苦しみの経験、
というのは人を強くし、そして、人様の役にも立つのだな、
というのが感想です。今思えば大したことではないのですがね。
あの時の私にとっては最大の苦しみだったわけです。
「人生無駄なものは何もない」
なんて言いますが、本当にそうでして、
私はあの試練のおかげで、ここ数年の苦しみも
乗り越えられています。というか、楽に乗り越えられました。
あの頃知らなかった、精神世界、宇宙の仕組み、
どうやったら幸せになれるのか?どうやったら
苦しみと向き合えるのかがわかった今、
これから訪れるものは、自分の捉え方次第と、
そして、物理量子学で言えば、観察したものが
存在するようになるだけの話ですから、
その辛さを、「辛さ」として観測しなければいいだけ。
「学び」と「経験」。それに苦しさを感じるのであれば、
ただただ淡々とそこに向き合ってみる。
・・・と簡単に言ってしまっていますが、
昔のように、辛い気持ちのまま、何年も過ごすことは
もう、2度とないのがわかります。
あの時は、辛さにばかりフォーカスしていたので、
どんどんその辛さは募るばかり、そして
その「辛いという世界」に生きていたのです。
別の次元には、「楽しい世界」があるのに。
最近、自分の笑っている写真を
何枚か見る機会があったのですが、
なんて幸せそうな笑顔をしているのだろう・・・と
つくづく思ったのでした。そして、あほみたいですが、
その自分の笑顔に、幸せをもらったような気になりました。
もちろん、他の人の笑顔でもそういう気持ちになるのですが、
客観的、他者目線で自分を見たのでしょうね。
「あゝ、なんて幸せそうな顔している・・・」とか、
「あの時あんなに苦して泣いてばかりだったのに、
今、こんなに幸せを感じられている」という
自分の笑顔を見て、さらなる幸せを感じたのでした。
物理量子学の世界では、すべては幻想であり、
すべては実在しない、とまで言われています。
もう、こういう話になりますと、よくわからない世界に
行ってしまいますので、簡単に言ってしまえば、
自分が世界を作っていて、どの世界を観察するのか?
ということ。
自分の幸せを観察するなら、それが見える、
自分の不幸を観察するなら、それが見える、
自分の望む未来を観察するなら、そこにいる、
自分の不安を感じる未来を観察するなら、そこにいる。
時々、自分の思いっきり笑っている自分の笑顔を見て、
これからも、こういう顔で笑っていたいと思った
ゴールデンウィーク中の執筆に追われた
髪振り乱している作家の独り言でした。
また明日。
画像/フォトグラファー 木村千枝氏






















自分のやりたい事、目標ですらなかなか向き合えず同じ場所にただただ生きている今ですが、ブログを読んだ瞬間は少し気分が晴れます。
いつも休む事なく素敵なお話を届けてくださり本当に感謝しています。これからもブログを読むのを楽しみにしています。