
人生の折り返し地点以上生きている私は、
もう、わがままに生きることを決めているせいか、
嫌な人間関係も、嫌な仕事もやらないで生きてきています。
(いい意味でのわがままですけどね。自分に正直のような感じ)
こんなことを言いますと、嫌われることもあるのは確かです。
島国気質の日本では、「協調性」だとか「和」とか「輪」
そして、「常識」というのを洗脳のように教え込まされていて、
自由意思を持てなくなっている人さえいます。
もちろん、それもある程度は大切なことですけどね。
例えば、海外に留学に行きたい、と思っていても、
会社になんて言おう、周りはなんていうかな?
親から反対されるだろうな、なんて、思って、行動に移さず、
結局若いうちにできないまま年を取っていく人もいます。
また、田舎ですと、お嫁さん、という立場でいらっしゃる方もまた、
本当に我慢を強いられている人がとても多いです。
これまで、当セミナーの受講者さん、、クライアントさんの中にも
そのように、自分のしたいことを、嫁姑の関係で諦めている、
という相談をたくさん受けてきました。
さて、目を閉じ、本気で想像して欲しいのですが、
死ぬ寸前に、最後になんて言って天国に逝きたいか?
と自分に質問した時、なんと答えが出るでしょうか?
その答えが、これからのあなたの生き方を変える、
ゴール(理想)を支える答えになります。
楽しい人生だった〜!
我が人生に悔いなし!
やりたいこと、全部やれたー!
みんなありがとう!出会えてよかった!
それとも、あれもやればよかった、
これもやればよかった。言いたいこと我慢しなきゃよかった。
あの時、あれをしてたら人生変わってたかな?
あの時、あの人に告白してたら、もしかして違う人生だったかな?
なんで、あんな夫に縛られたままだったんだろうか?
もっと体を大事にしていたら、人生違っていたかな・・・
前者でしょうか?後者でしょうか?
もちろん、前者であるはずです。
やり残したことは、次の人生でまたやり直しなのです。
それはいや・・・・
よく、生きるのがしんどくなりますと、こんなことを考えます。
「生きる意味って何だろうか?」と。
私も以前は考えていましたが、その点、
『それでも人生にイエスと言おう」の筆者V・フランクルによりますと、
「そもそも我々が人生の意味を
問うてはなりません。
我々は人生に問われている立場であり、
我々が人生の答えを
出さなければならないのです」
逆説的な見方で素晴らしいです。
もし、あなたの人生から生きる意味を問われたら、
何と答えるでしょうか?
我慢の人生でいいと思えるなら、
腹をくくって我慢し続けることをチョイスするでしょうが、
もう、それが嫌で嫌でならない場合は、
どんな行動を起こすべきかはもう明白だと思います。
本音で好きなように生きることは可能なのです。
不可能だと思っている人は、不可能な人生を送ることになりますが、
可能だと思ってそれを実現している人々がもしあなたの周りにいるなら、
どうぞそういう人と付き合ってみてください。
そうすると、面白いことがおきますよ。
無意識でその人の意識にチューニングしていきます。
あなたの脳も潜在意識も、その人を真似るようになります。
私が大好きな人々、数は片手で足りてしまうほどの
少ない人数の友人ですが、全員!そう、全員です。
やりたいことを仕事としていて、
そして、感謝されながらお金も十分いただいています。
思った通りのことが、目の前に起きています。
叶うまでの時間差はありますけどね。
しかし、叶うのです。
女社長になりたい、と言ったある人は、
女社長とたくさん付き合って、会社を立ち上げ、自ら女社長になりました。
自分のサロンを持ちたい、と言ったある人は、
奇跡みたいなことが起きて、サロン経営できるようになりました。
趣味が仕事になったらいいな、月に10万円くらいでも
副収入になったらいいな、と言った彼女は、
10万円どころか、20万、30万円稼げるようになりました。
専業主婦ですが・・・
残りの人生、本音でやりたいことをチョイスして、
「こうなったらいいな〜」の理想さえ明確に出来れば、
その瞬間から人生の歯車は回り出します。
未来を設定すると、
今が変わり、今が変われば、
過去もどんどん変わるのです。
ということで、今日の記事、あちこち飛びましたが
思いのままつらつらと綴らせていただきました。
あなたの心に残った言葉が、今のあなたが必要としていることです。
では、また明日〜♪
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