絆とは、人と人との強い結びつきのこと。
いい意味で使われる言葉ではありますが、
良きにつけ悪しきにつけ、よーくその言葉を見てみますと、
同じく強い結びつきなわけです。
それで、今日のタイトル、嫌えば嫌うほど絆は強まるのです。
さて、どういう意味でしょうか?
マザーテレサの名言で、「愛の反対は無関心」というのがありましたが、
まさに、アウトオブ眼中、というのは、相手はいないも同然。
存在していないも同然ゆえ、その人との繋がりはほとんどありません。
無関心(つまり、意識をその人に向けていない)ということなので、
お互いの氣の影響もありません。しかし、好きな人も嫌いな人も
興味があるから目に入ってくる、興味があるから、
個人的な関心を向けている、ということ。
その個人的な関心は、好きも嫌いも同じく関心なのです。
しかも、「好き」という感情よりも「嫌い」の感情の方が強いので、
より一層、その人とのパイプの繋がりは強く太くなっていくものです。
ですから、あなたに大嫌いな人がいたとして、
その人に注目して、嫌いになればなるほど、
その人とのパイプは太くなっていき、人生の中でその人との関わりは続き、
そしてそこからの受ける学びはまだまだ続くわけです。
もしかしたら、嫌いな人の不幸を願うことがあるかもしれません。
しかし、相手が不幸になることを祈れば祈るほど、
それは呪いと同じ効果なので、自分の身に帰ってきたり、
(潜在意識は他人と自分を区別しないので、自分への自己暗示となる)
さらに言えば、嫌いなくせにもっともっとその人とのパイプが
太く強くなってしまう行為なので、それは超危険。
ちょっと話が変わりますが、こんなことがよくあります。
人間関係で問題が起きて、そこから学びを得て、
そこを乗り越えられると、その人は目の前からいなくなる、ということが。
乗り越えられるとは、大嫌いだったものが、普通になったり、
興味がなくなったり、その人のことを考えなくなったとき。
つまり、もう問題ではなくなった時。
自分が引っ越したり、相手が引っ越したり部署が変わったり、
なんとなく、長年の腐れ縁だったのが、疎遠になったり・・・
この記事で言いたいことは、
「相手を許すことです」
「相手を愛することなのです」
・・・なーんて、あごの下がかゆくなるようなことではなくてね。ゴメン
「嫌いなものは嫌いなんじゃ、ゴラ!」であったとしても、
その嫌いだって感情を否定せず認めたときに、そこから
何かスーっと抜けるようなことがあったり、そして、
その大嫌い!という自分の中の感情を認めてあげたときに、
その嫌いの感情が少し、小さくなっていくのです。
さらに進むと、「ま、奴も大変なんだよね」って思えたり、
はたまた、「彼女(または彼)が幸せになりますように」と
心がこもっていなくても、口だけであっても言えるようになると、
不思議と自分の心が浄化されていく感覚になります。
口が裂けても言えない、って場合はそれはそれでいいです。
私は、嫌いな人とか苦手な人に会ったとき、
自分の感情を無視することはありません。
「嫌い」のその感情を大切にします。だから昇華するのが早い!
昇華した時に、言える言葉、アルボムッレ・スマナサーラのお経で教えてもらった、
「私の大嫌いな人が幸せでありますように」
と言うのです。そうすると心の浄化が始まっていくので。
そうなると、嫌いな人と繋がっていたパイプが切れる感覚。
やみくもに、許しましょう、というのは、
あとでムクムク、昇華できなかった感情が
再び暴れ出したりしますので、要注意。
早く、無関心になれたらこっちのもの。
目の前の大嫌いな人は、あなたが興味のある人。
自分の嫌なところを見せてくれるのも、嫌いな人。
学びを与えてくれるのも嫌いな人。
イラ立ち、腹立ち、怒り、そこから大切なことを学べるのも、
嫌いな人がきっかけ。自分の信念が掘り起こされるきっかけになったり、
または反面教師として、「ああはなるまい!」と
襟を正せるのも嫌いな人のおかげだったりする・・・
そんな風に思えたときに、
「嫌いな人よ、あなたが幸せでありますように・・・」
と思えるような気がしてくるはずです。
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いつも、とても勉強になり、こちらを拝見できることを嬉しく思っております。
相手を許す!!
先日、大分悩んでいた、相手に、「許す」という
言葉を与えたことがありました。
そうしたら、相手も、私も何だかスゥ〜っと、
気持ちが軽くなったことがありました。
その相手は、多分、自分に気を引きたいのだと
思っています。
「相手を愛する」ことまで出来なくても、
相手を、自由にしてあげることは出来ると
思います。
そうしたら、相手へのイライラも、気に掛けることもなくなりました。
とても、このお話聞けて、為になりました。