今日の記事は「愛」について・・・って、
実を言うと、あまり愛について書くのは苦手です。
これに関しては、伝えたいことはたくさんあるのですが、
文字にして書くと、どうしても薄っぺらくなってしまいがちでね。
今日は、ちょいとだけ書いてみようと思います。
マザーテレサを知る人ならば、彼女の慈悲深い愛と無私の愛について感動し、
そして、自分もまた人を愛して人のために自分を費やし、
自己犠牲の精神(キリスト教の中心のマインド)で生きていけたら、
素敵だな・・・と思われている人も多いはず。
私は、聖書について学び、20年以上も愛読してきたんですがね、
聖書の予言についてだとか、聖書の中に書かれている神の特質である
愛については、学べば学ぶほど、「愛ってこうよ!」とは言えないほど、
深遠でそして、辿りがたく、しかしそれでいて究極なもので、
そして、それは本当に身近で自分の中にあるということ。
人のために生きる
他の人への愛
他の人を優先する気持ち
自己犠牲の精神
どれも美しく、それらの言葉を並べている人々も本当に美しく見えます。
批判するつもりもありませんが、しかし、人を愛する前に大前提を省略して
本当の意味でのそこへ到達する人は、少ないと私は思います。
その大前提というのが今日のタイトルなんですがね。
マザーの場合は、自我欲求(マズローの欲求5段階説では4番目)が
なかったと私には見えます。ちなみに自我欲求とは、他者からの承認とか
尊厳を受けることを意味しますが、マザーは、神からの承認を心から求めていて、
その辺で、かなりもがいていた人でもあったようです。表にはなかなか出てこない
情報のようですが、人々には知られていない黒い部分と言うか闇の部分が
あったとされている文献(牧師に送った手紙が本になっている)があるとのことです。
しかし、彼女の場合は、歴史上のマスターレベルのお人ですから、
他者への愛は、本当に無私の愛。誰からの承認も感謝も必要とせず、
神とのかかわりのみで、自分を満たすお人だったのかもしれません。
しかし、普通の人はほとんどの場合承認欲求があります。
つまり、自分に少しでも欠乏欲求がありながらにして、
他の人への愛を与えることをし始めると、バランスが取れなくなるのです。
見返りも承認も、お礼も、感謝もされないまま、
マザーのように他者優先では生きていくためにまずは、というところは、ここ。
つまり自分を愛して、そして、自分の心が満たされてからこそ、
そうした、見返りのない愛を分かち与えることができるもの。
もちろん、強靭な精神があれば、ある程度の期間、
自分の愛だけを与え続けても、多少もつかもしれませんが、
この先、何年何十年も見返りのない自分の愛を、他者に与え続けられるか?
お礼されて感謝されて、承認されることが、喜びとなって続けることはできても、
何もない状態でそれをずっと続けられる人は、それこそマスターレベル。
なので、順番はこう。
まずは、自分を大切にし、他人から満たしてもらうのではなく、
自分で自分を十分に満たせたときに、他の人へも愛を示し続けることができるもの。
あ、ここで言う他人とは、家族は別ですよ。親は子供には無償の愛を示せるからです。
親は自分の命よりも子供のことが大切ですから。
言いたいことの要点はこう。まずは自分をしっかり愛すること。
自分が満たされていないのに、自分を後回しにして他者を優先させたときに、
どんなことが起きるか想像してみてください。
聖書の言葉の「隣人を自分自身のように愛しなさい」という言葉は、
他の人を愛しなさい、という言葉の意味の前に、
自分自身を愛する方法がわかっていないと
隣人をも愛することができない、ということ。
まずは、自分を大切にして愛して慈しみ、毎日働いてくれている
がんばっている、つらいことにも耐えている自分に感謝して、
満たしてあげることが最初にできたらいいですね。
さて、あなたにとって、自分を愛する行為は何が入るでしょうか?
自分を愛しているなら、自分をどう扱うでしょうか?
ちょっと考えてみるのもいいかもです。
週末楽しんでくださいね。
いつも応援クリックありがとうございます。
ブラウザが開ききるまでお待ち頂けますと、
応援にカウントされるようです。
ご協力お願いいたします。

フィネスを取材してきました。取材動画はこちらから






















マザー・テレサのようなお方でも、悩みのレベルといっては語弊がありますが、自身の闇のなかでの葛藤があったと聴くと、不思議なことに妙に親近感が湧いたりするものですね。
自分を「受け入れる」というレベルから、考えてみたいと思います。たとえ、それが自己満足のレベルであってもです^^
本当に私の事が、そのまんま書いてあるような気がしました。
自分を愛し大切にすることを忘れ、自分を見失いながらも、愛と情と敬意と誠意と熱意を持って接して来た結果、燃え尽きました。感謝も承認もお礼も受け取れなかった(与えられていたかもしれないけど、もうへとへとで素直に受け取れなかった)。
「何かしてもらおうと思ってちゃだめだよ。自分のできることをしてあげないと」と空回りする私にアドバイスを下さった方もいました。マスターレベル(笑)を求められたけど、無理でしたT T 自分を愛していなかったからですね。それが分かって、それじゃ仕方なかったなって少しなっとくできました。
ありがとうございました。
今は、もうただただ自分を愛することだけに集中しています。^^
先日、北海道でセミナー初体験し、その勢いでコメントも…
今日の記事に納得・納得・納得です(3回も!)
私は自分に自信が持てなくて、その分大好きな人に尽くし承認される事で満たされるようとこが強くありました。
先日の記事で依存について書かれておりました、まさしくそうでした…
その事に気付き、自分を大切にできなきゃ周りの人も大切にできないと痛感したのは、
悲しいかな その大好きな人が末期ガンだと知った時でした。
命をもって最期に教えてくれた自分を大切にする事の大切さ。
そのおかげで私は今、毎日小さな幸せと感謝を集め楽しく生きることに向かって歩いています。
まだまだ試練の道ですが、これもワタナベさんのニュートラル志向に救われたおかげでもあり、このブログにもいつも感謝しています!(^^)!
ありがとうございますm(__)m
自分を愛すること、
少しずつでき始めたように思います。
自分で自分を承認出来るようになると、
楽ですね。
自分いじめをしないように、気をつけたいと思います。笑
*朝、鏡に向かってにっこり笑って「おはよう」を言う。
*夜寝る前に、自分にありがとうを言う。
*うれしいこと、楽しいことを思いきり味わう。
今思いつくのは、これくらいですけど。
毎日心掛けていきますよ〜
では、今日も笑顔でいってみよう!
私にとっては、ずっと知っていた(=日本語の意味は通じていた・笑)つもりで、
ここ一年くらいでやっとその意味に気づいたテーマです。
自分をどれだけ信じることができるか。
自分を愛し、大切にできたら、
どんなことがあっても信念を貫くことはできるのだと思います。
私は、絶対に揺らがないという域には達していませんが、
「自分を愛する」ことに気づいてから、少しずつ、自分の目指すところが見えてきたかな?と思っています。
「愛」って、確かに口にするのが少し勇気がいる気がしますね。
でも私は、「愛」を信じていこうと思います☆
自分のことだけ考えるのはだめ、人のことをまず優先させて親切にしましょう、的な風潮が日本には特に強い気がする(個人的に)のですが、
まずは自分自身を満たしていないと、お相手に響かない・ないしは届かないのではないかと最近思うようになりました。
だって、
喉が渇いてカラカラで、水を求めている誰かには、自分のコップの中に水が満ちていないと分け与えることはできないもの。
だから、まずは自分、なのですね。何事も。
人から愛されることを望む前に、
自分を愛して満たすことができる人は、
実は強い人なのかもしれませんね。
わたしも時間がかかってでも、いつでも内側が愛に満ちた芯が強くて穏やかな人でありたいわ〜☆